阿岸本誓寺(桜見ごろ4月下旬頃~)石川桜名所

阿岸本誓寺

阿岸本誓寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。阿岸本誓寺は石川の桜名所です。阿岸本誓寺の桜見ごろは例年4月下旬頃~5月上旬頃です。阿岸本誓寺には小さな花に130枚もの花びらつくアギシコギクザクラが植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)アギシコギクザクラは石川県の天然記念物に指定されています。

【阿岸本誓寺 アクセスマップ】
場所・・・石川県輪島市門前町南力26乙

【阿岸本誓寺 アクセス・交通】
*のと鉄道七尾線穴水駅からバス・門前行きで終点、小山線山是清行きに乗り換え、南バス停(徒歩すぐ)

*能登有料道路西山IC(車約40分)

【阿岸本誓寺 アクセス・駐車場】
駐車場なし

【阿岸本誓寺 時間(要確認)】
8:30~16:30

【阿岸本誓寺 料金(要確認)】
自由(お志)

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【阿岸本誓寺 歴史・簡単概要】
阿岸本誓寺(あぎしほんしょうじ)は石川県輪島市門前町南力26乙にあります。阿岸本誓寺は起源が明確ではありません。阿岸本誓寺はかつて真言宗(しんごんしゅう)の松岡寺だったとも言われています。鎌倉時代前期の1268年(文永5年)に善了法師(ぜんりょうほうし)が浄土真宗(じょうどしんしゅう)の宗祖・親鸞(しんらん)の孫で、本願寺第2世・如信(にょしん)に帰依し、浄土真宗に改修し、阿岸本誓寺に改称したと言われています。室町時代中期の1436年(永享8年)に本願寺7世・存如(ぞんにょ)が聖人影像に裏書を覚えました。1488年(長享2年)頃から1580年(天正8年)に起こった加賀一向一揆(かがいっこういっき)で拠点になったと言われています。江戸時代前期の1610年(慶長15年)に加賀藩(かがはん)・前田家に庇護され、鳳至郡(ふげしぐん)106ヶ寺を統轄する触頭(ふれがしら)になり、能登にある浄土真宗寺院で最有力寺院に位置付けられました。1780年(安永9年)から本堂・山門・鐘楼・鼓楼の建立が開始されたと言われ、1792年(寛政4年)に本堂が落慶しました。江戸時代後期の1839年(天保10年)に関白・左大臣である二条治孝(にじょうはるたか)の息女・五百姫(いほひめ)が阿岸本誓寺24世に入嫁し、1850年(嘉永3年)に二条家の位牌所になりました。なおアギシコギクザクラ(阿岸小菊桜)は石川県の天然記念物に指定されています。
輪島市(わじまし)は石川県北部に位置しています。輪島市は奥能登の中核都市です。輪島市は珠洲市・志賀町・穴水町・能登町に接しています。輪島市は日本海へ北に向けて突き出した能登半島(のとはんとう)北岸に位置し、北部が丘陵地から急斜面で日本海に面し、沖合に舳倉島(へぐらじま)・七ツ島(ななつじま)が浮かび、河原田川(かわらだがわ)・鳳至川(ふげしがわ)・町野川(まちのがわ)などが流れています。輪島市は沖合を暖流の対馬海流(つしまかいりゅう)が流れ、一年を通じて気候が穏やかだが、夏に南西・冬に北西からの季節風が吹きます。輪島市は古くから港町として知られ、室町時代に三津七湊(さんしんしちそう)に数えられる港となって北前船の寄港地として栄えました。また輪島市は室町時代に温井氏(ぬくいし)が天堂城(てんどうじょう)を築城するとその城下町として発展しました。輪島市は江戸時代に輪島塗・輪島包丁・輪島素麺などが盛んになり、輪島塗は広く知られるようになりました。輪島市には輪島塗以外にも一千年以上も前から続き、日本三大朝市(勝浦朝市・飛騨高山朝市)に数えられる輪島朝市も有名です。輪島市は輪島塗・朝市などの観光資源があり、1年を通して多くの観光客が訪れます。
*参考・・・阿岸本誓寺(アクセス・歴史・・・)

【阿岸本誓寺 見どころ・文化財】
阿岸本誓寺の見どころは阿岸本誓寺の桜です。阿岸本誓寺の桜見ごろは例年4月下旬頃~5月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【阿岸本誓寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0768-45-1355(阿岸本誓寺)

【阿岸本誓寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
石川桜名所・石川桜見ごろ

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