浅川の花火8/16(日程・時間・・・)
(最新確認中)浅川の花火2018は2018年8月16日に行われます。浅川の花火2018ではスターマイン・2尺玉・供養花火・東日本大震災の慰霊花火・大からくり・地雷火など約3,200発(昨年データ)の花火が夜空を彩ります。地雷火は高さ約300メートルの城山公園の山頂で、山が噴火するように花火が扇を広げたように炸裂します。
【浅川の花火2018 日程時間(要確認)】
浅川の花火2018・・・2018年8月16日(木曜日)19:00~20:30(小雨決行・荒天順延8月17日)
【浅川の花火2018 会場アクセス・マップ】
場所・・・福島県石川郡浅川町・浅川町大字滝輪 滝輪郷地内
*JR磐城浅川駅
●無料駐車場あり
【浅川の花火2018 概要(種類・規模)】
浅川の花火2018では「金剛光輪塔」をテーマにスターマイン・2尺玉・供養花火・東日本大震災の慰霊花火・大からくり・フィナーレの地雷火など約3,200発(昨年データ)の花火が夜空を彩ります。地雷火は高さ約300メートルの城山公園の山頂で、山が噴火するように花火が扇を広げたように炸裂します。大からくりは全長約15メートル・重さ約300キロ以上あり、青年会・消防団が打上場所までの約2キロを観衆の声援を受けながら勇壮にを練り歩きます。
●スターマイン・・・仕掛花火の一種で、速射連発花火のことです。主に2号玉(約6センチ)から4号玉(約14センチ)をいくつも組み合わせて、短時間に速火線を使って大量に連続して打ち上げます。制御にパソコンなどを使う場合、デジタルスターマインなどとも言われます。
●2尺玉・・・直径約59センチの20号玉(直径約58.5センチ・重さ約70キロ)のこと言います。2尺玉は一般的に高さ約500メートルまで打ち上げられ、直径約480メートルにも広がるそうです。
有料席・・・なし
*参考・・・浅川の花火2018(時間・観覧席・穴場・・・)
【浅川の花火 歴史・簡単概要】
浅川の花火(あさかわのはなび)は江戸時代中期に始まったとも言われています。1798年(寛政10年)に起こった農民一揆・浅川騒動の犠牲者を慰霊したのが始まりで、古くから僧侶による供養が行われ、寺花火とも言われていたそうです。(諸説あり)浅川の花火は300有余年の歴史があり、福島県内最古の伝統を持つ花火大会とも言われています。浅川の花火では現在一揆の犠牲者だけでなく、戊辰戦争・日清戦争・日露戦争・太平洋戦争の戦没者の供養も行っています。ちなみに浅川の花火は供養の花火とも言われています。なお浅川の花火は浅川町両町青年会が主催して行われています。
*参考・・・浅川の花火・浅川の花火wikipedia
【浅川町 歴史・簡単概要】
浅川の花火が行われる浅川町(あさかわまち)は福島県の南東部に位置しています。浅川町は石川町(いしかわまち)・玉川村(たまかわむら)・平田村(ひらたむら)・古殿町(ふるどのまち)とともに石川郡(いしかわぐん)を構成し、白河市・石川町・棚倉町・鮫川村に接しています。浅川町は東側の阿武隈高地(阿武隈山地)と西側の奥羽山脈に挟まれた太平洋側内陸の地域である中通りの南部に位置し、宮城県南部から茨城県北部に広がる阿武隈高地の丘陵地にあり、甲子旭岳を源とする一級河川・阿武隈川の支流・社川(やしろがわ)などが流れています。浅川町は平安時代末期に浅川知義が鎌倉幕府初代将軍・源頼朝による奥州藤原氏征伐に従軍した戦功により、地頭職となって青葉城(浅川城)を築城して支配し、江戸時代に白河藩領・越高田藩領・幕府領と移り変わりました。越高田藩領の時代には陣屋が置かれ、年貢の厳しい取り立てなどに対し、1798年(寛政10年)に百姓一揆・浅川騒動が起こり、殺害されたり、打ち首になった農民がいたそうです。浅川町では現在農業・酪農が盛んに行われ、ヒマワリ油などが特産品になっているそうです。なお浅川町は1935年(昭和10年)に町制に移行しました。
*参考・・・浅川町・浅川の花火・浅川町・浅川の花火wikipedia
【浅川の花火2018 備考・注意事項】
*花火・イベントなどの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者のサイトなどで確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。