白毫寺(桜見ごろ4月上旬頃~)兵庫桜名所
白毫寺
白毫寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。白毫寺は兵庫の桜名所です。白毫寺の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。白毫寺にはソメイヨシノ(染井吉野)など約50本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)白毫寺は全長120メートルの藤棚の九尺藤でも知られています。
【白毫寺 アクセスマップ】
場所・・・兵庫県丹波市市島町白毫寺709
【白毫寺 アクセス・交通】
*JR福知山線市島駅(車約8分)
*舞鶴若狭自動車道春日IC(車約10分)
【白毫寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【白毫寺 時間(要確認)】
8:00~17:00
【白毫寺 料金(要確認)】
一般300円、高校生以下無料
【白毫寺 歴史・簡単概要】
白毫寺(びゃくごうじ)は兵庫県丹波市市島町白毫寺にあります。白毫寺は寺伝によると飛鳥時代末期の705年(慶雲2年)にインドから中国・朝鮮半島を経由して日本に渡って来たとも言われる法道仙人(ほうどうせんにん・空鉢仙人(からはちせんにん))が創建したとも言われています。法道仙人は朝鮮半島から日本に渡る際に牛頭天王(ごずてんのう)とともに渡ったとされ、牛頭天王は姫路市の広峰神社(ひろみねじんじゃ)に祀られたとも言われています。白毫寺はインドから伝わったとも言われる秘仏・薬師瑠璃光如来を安置しています。白毫寺は眉間(みけん)の白毫から神々しく瑞光を放っていたことから名付けられました。平安時代に第3世天台座主の慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が入唐求法からの帰朝の際に訪れて持ち帰った密教法具を伝え、周囲の山並みが唐の五台山に似ていることから山号を五台山に命名したとも言われています。鎌倉時代には七堂伽藍が建ち並び、南北朝時代に赤松貞範(あかまつさだのり)などに庇護されて93坊を擁する丹波屈指の名刹として隆盛を極めたが、天正時代に織田信長(おだのぶなが)の家臣・明智光秀(あけちみつひで)による丹波攻略によって焼失しました。その後再興され、江戸時代に江戸幕府から朱印状を与えられました。白毫寺は全長120メートル・幅9メートルの藤棚の九尺藤が知られています。
丹波市(たんばし)は兵庫県東部に位置しています。丹波市の名称は旧国名・丹波国に由来しています。丹波市は兵庫県の篠山市・西脇市・朝来市・多可町、京都府の福知山市に接しています。丹波市は瀬戸内海と日本海のほぼ中間に位置し、瀬戸内海の播磨灘に流れ込む加古川水系の一級河川・加古川と日本海の若狭湾に流れ込む由良川水系の竹田川の最上流にあり、西部に粟鹿山・三国岳・竜ヶ岳・篠ヶ峰など800メートル級の山々が連なっています。ちなみに丹波市は本州でもっとも低い中央分水界とも言われています。丹波市は瀬戸内海型気候・内陸型気候に属し、年間の寒暖差や昼夜間の温度差が大きく、秋から冬に掛けて発生する朝霧・夕霧は「丹波霧」とも言われています。丹波市は平安時代末期から京都・石清水八幡宮などの荘園があり、鎌倉時代に加古川水運の河港や但馬から京都に至る街道筋の宿場町として発展しました。その後南北朝時代に室町幕府の御料所になり、安土桃山時代には明智光秀の家臣・斎藤利三が丹波黒井城に入城し、江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母になる春日局が誕生しました。丹波市は現在丹波グリ・丹波ナス・丹波大納言小豆・丹波黒大豆・丹波山の芋などの農業が盛んに行われています。ちなみに春日町は丹波大納言小豆の発祥地とされているそうです。
*参考・・・白毫寺(アクセス・歴史・・・)
【白毫寺 見どころ・文化財】
白毫寺の見どころは白毫寺の桜です。白毫寺の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【白毫寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0795-85-0259(白毫寺)
【白毫寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●兵庫桜名所・兵庫桜見ごろ
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