大宰府政庁跡(桜見ごろ3月下旬頃~)福岡桜名所
大宰府政庁跡
大宰府政庁跡(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。大宰府政庁跡は福岡の桜名所です。大宰府政庁跡の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。大宰府政庁跡にはその周辺とともにソメイヨシノ(染井吉野)など約100本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)史跡を散策することができます。
【大宰府政庁跡 アクセスマップ】
場所・・・福岡県太宰府市観世音寺4-6-1
【大宰府政庁跡 アクセス・交通】
*西日本鉄道天神大牟田線都府楼前駅(徒歩約15分)
*九州自動車道太宰府IC(車約5分)
【大宰府政庁跡 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【大宰府政庁跡 時間(要確認)】
9:00~17:00
【大宰府政庁跡 料金(要確認)】
無料
【大宰府政庁跡 歴史・簡単概要】
大宰府政庁跡(だざいふせいちょうあと)は福岡県太宰府市観世音寺にあります。大宰府政庁は7世紀後半に大和朝廷が福岡市中央区(博多湾)にあった那津官家(なのつみやけ・那の津の官家)を移したのが始まりとも言われています。663年(天智2年)の白村江の戦い(はくそんこうのたたかい)で、日本・百済(くだら)遺民の連合軍は唐・新羅(しらぎ)の連合軍に敗れ、大和朝廷が唐に対する防衛基地として創設したとも言われ、664年(天智天皇3年)に堤に水を貯えた水城(みずき)・小水城(しょうみずぎ)が筑紫に造られ、665年(天智天皇4年)に大宰府の北に大野城(おおのじょう)、南に基肄城(きいじょう)などの城堡(じょうほう)が造られたとも言われています。ちなみに大宰(おほみこともち)は地方行政上重要な地域に置かれて統治した地方行政長官です。飛鳥時代の701年(大宝元年)に制定された大宝律令(たいほうりつりょう)以前には吉備大宰(きびのおおみこともち)などあったが、大宝律令後に大宰は廃止され、九州の大宰府だけが残されました。大宰府政庁は奈良時代・平安時代に諸外国との交渉の窓口になり、九州の政治・経済・文化の中心になりました。大宰府政庁跡は日本最古の和歌集「万葉集」に「遠の朝廷(みかど)」と詠まれ、平城京・平安京に次ぐ規模の跡地を公園として整備されました。
太宰府市(だざいふし)は福岡県中西部(筑紫地域)に位置しています。太宰府市は筑紫野市・大野城市・宇美町に接しています。太宰府市は標高約829.6メートルの宝満山(ほうまんざん・竈門山(かまどやま))を源とする御笠川水系の本流で二級河川・御笠川(みかさがわ)上流域に位置し、福岡平野と筑紫平野を結ぶ二日市(ふつかいち)構造谷にあり、北部に標高約410メートルの四王寺山(しおうじやま)、東部に宝満山、西南部に標高約257.4メートルの天拝山(てんぱいざん)がそびえています。太宰府市では7世紀に筑紫大宰(つくしのおおみこともちのつかさ)が置かれ、第38代・天智天皇の時代(668年~672年)に九州一円を統治する大宰府(だざいふ)政庁が現在の場所に移され、664年(天智天皇3年)に水城(みずき)が設置されて防人(さきもり)が配置されました。太宰府市は九州の政治・経済・文化の中心になりました。太宰府市では901年(昌泰4年)に菅原道真(すがわらのみちざね)が大宰府に左遷され、903年(延喜3年)に菅原道真が亡くなり、905年(延喜5年)に菅原道真の墓の上に太宰府天満宮の前身となる廟が建立され、その後太宰府天満宮の門前町として栄えました。ちなみに太宰府市には大宰府跡 (国指定特別史跡) 以外にも筑前国分寺跡・刈萱関(かるかやのせき)跡・戒壇院・観世音寺などもあります。太宰府市では西部・南部で福岡都市圏のベッドタウンとして住宅開発が進んでいます。
*参考・・・大宰府政庁跡(アクセス・歴史・・・)
【大宰府政庁跡 見どころ・文化財】
大宰府政庁跡の見どころは大宰府政庁跡の桜です。大宰府政庁跡の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【大宰府政庁跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・092-922-7811(古都大宰府保存協会)
【大宰府政庁跡 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●福岡桜名所・福岡桜見ごろ
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