円応寺(桜見ごろ3月下旬頃~)佐賀桜名所

円応寺

円応寺

円応寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。円応寺は佐賀の桜名所です。円応寺の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。円応寺には参道にソメイヨシノ(染井吉野)など約100本の桜の木が植えられ、桜のトンネルが作り出されます。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)鳥居型石門・アーチ型石門もあります。

【円応寺 アクセスマップ】
場所・・・佐賀県武雄市武雄町大字富岡10513

【円応寺 アクセス・交通】
*JR武雄温泉駅(徒歩約20分)
*JR武雄温泉駅からバスの場合、円応寺馬場バス停(徒歩すぐ)

*長崎道武雄北方IC(車約10分)

【円応寺 アクセス・駐車場】
駐車場なし

【円応寺 時間(要確認)】
自由

【円応寺 料金(要確認)】
無料

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【円応寺 歴史・簡単概要】
円応寺(えんおうじ)は佐賀県武雄市武雄町大字富岡にあります。円応寺は戦国時代(室町時代後期)の1519年(永正16年)に戦国時代の武将で、肥前後藤氏第18代当主(武雄領主)・後藤純明(ごとうすみあきら)が了然禅師を開山として創建しました。その後武雄鍋島家の菩提寺になりました。江戸時代後期の1798(寛政10年)に鳥居型石門(武雄市の重要文化財)が建立されました。鳥居型石門は高さ約5.01メートルで、柱間約2.76メートルです。鳥居型石門は中央の額束に「白雲関」と刻まれています。文化年間(1804年~1818年)に参道に石畳が敷かれ、(文化14年)に参道の第2の門として、中国風の石門であるアーチ型石門(武雄市の重要文化財)が建立されました。アーチ型石門は高さ約4.17メートル・幅約4.846メートル・奥行き約0.97メートルで、アーチ開口部が高さ約3.24メートル・幅約2.42メートルです。アーチ型石門の裏側に施主が大串儀左衛門、石工が鳥屋弥兵衛・永石安兵衛などと記されています。正面のアーチ上部には第28代佐賀藩自治領武雄領主・鍋島茂義(なべしましげよし)筆の扁額「西海禅林」があります。鍋島茂義は15、16歳の頃に書き、使者に「拙い書(つたないしょ)」と指摘され、その後書画に励んで上達したと伝えられています。また石門は円応寺25世・梅信和尚が石畳の寄進者・大串儀左衛門に所望し、その際大串儀左衛門が一言で承諾したことから「一諾の門」とも言われています。円応寺には十一面観音菩薩を本尊として祀る曹洞宗の寺院で、第20代武雄領主・後藤家信(ごとういえのぶ)からの代々のお霊屋と位牌堂があります。
武雄市(たけおし)は佐賀県西部に位置しています。武雄市は佐賀県の多久市・唐津市・伊万里市・嬉野市・白石町・大町町・有田町、長崎県の波佐見町に接しています。武雄市は武雄盆地と周辺の丘陵地に位置し、標高約447メートルの神六山(じんろくざん)を源とする六角川水系の本流で一級河川・六角川(ろっかくがわ)上流・中流域に広がり、西側に黒髪山(くろかみやま)系・南東側に杵島山(きしまやま)系の山々があり、武雄川・六角川などが流れています。武雄市は古来から交通の要衝で、古代の官道が通っていました。また武雄市は約1,200年前に「肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)・奈良時代初期編纂」に記された武雄温泉(たけおおんせん)が開湯されたとも言われています。武雄温泉には第14代・仲哀天皇の皇后・神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐から凱旋した際に太刀の柄(つか)で岩を一突きしたところ温泉が湧き出したと言われる伝説が残されています。また武雄温泉は伊達政宗・宮本武蔵・シーボルト・吉田松陰が入湯したとも言われています。武雄市は江戸時代に長崎街道の宿場町と六角川の舟運で栄えました。また武雄市は江戸時代に炭鉱町としても栄えたが、1972年(昭和47)までに炭鉱が閉山しました。
*参考・・・円応寺(アクセス・歴史・・・)

【円応寺 見どころ・文化財】
円応寺の見どころは円応寺の桜です。円応寺の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。桜のビュースポットは参道入口です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【円応寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0954-23-7766(武雄市観光協会)

【円応寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
佐賀桜名所・佐賀桜見ごろ

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