西大寺会陽裸祭り2/16(日程・時間・・・)

会陽裸祭り2019は2019年2月16日に行われます。会陽裸祭りでは体を清めて境内を回り、千手観音・牛玉所大権現を詣で、大床で押し合います。その後浄暗中、御福窓から2本の宝木が投げ入れられるとまわしを締めた裸の男が激しく奪い合います。争奪戦を制した者は福男と言われ、その年の幸福が約束されとも言われています。

【会陽裸祭り2019 日程・時間(要確認)】
会陽裸祭り2019は2019年2月16日に行われます。

【会陽裸祭り2019・西大寺 アクセス・マップ】
場所・・・岡山市東区西大寺中3-8-8

*赤穂線・西大寺駅(徒歩約10分)

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【会陽裸祭り2019 概要】
会陽裸祭りでは体を清めて境内を回り、千手観音・牛玉所大権現を詣で、大床で押し合います。その後本堂内外の明かりが一斉に消された浄暗中、御福窓(ごふくまど)から2本の宝木(しんぎ)が投げ入れられるとまわしを締めた裸の男が激しく奪い合います。争奪戦を制した者は福男と言われ、その年の幸福が約束されとも言われています。

●会陽裸祭り2019 日程・スケジュール(要確認)

2月16日
15:20・・・少年はだか祭り
18:30・19:30・・・会陽太鼓
19:00~19:30・・・会陽冬花火
22:00・・・宝木投下

会陽19日前・・・会陽事始式
会陽事始式3日後・・・宝木取り・宝木削り
会陽2週間前・・・修正会

*参考・・・会陽裸祭り2019会陽裸祭り2019

【会陽裸祭り 歴史・簡単概要】
会陽裸祭り(えようはだかまつり)は東大寺初代別当・良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟・実忠上人(じっちゅうしょうにん)が始め、奈良長谷寺・安隆上人(あんりゅうしょうにん)が伝えたのが起源とも言われ、毎年旧正月元日から14日間に渡って行われていたそうです。ちなみに実忠上人は752年(天平勝宝4年)に東大寺お水取り(修二会・お松明)を始め、東大寺では以来一度も途切れることなく続けられています。その後1510年(永正7年)の忠阿上人(ちゅうあしょうにん)の時、修正会(しゅうせいえ)の結願の日に参詣者に守護札を出したところ福が得られるとして殺到し、やむなく参詣者の頭上に投与したことから奪い合いとなり、参詣者が体の自由を得る為に裸となったと言われています。なお会陽裸祭りは国の重要無形民俗文化財に指定され、諸説はあるが、日本三大奇祭に数えられています。また会陽裸祭りは岩手の蘇民祭(そみんさい)・大阪の四天王寺とどやどや(修正会結願)ともに日本三大裸祭に数えられています。
修正会は一般的に毎年正月に数日間行われる悔過 (けか) の法会です。修正会では昨年を反省し、新年の国家安泰・天下泰平・万民豊楽・五穀豊穣などを祈願します。
*参考・・・会陽裸祭り

【西大寺 歴史・簡単概要】
会陽裸祭りが行われる西大寺(さいだいじ)は751年(天平勝宝3年)に山口周防・玖珂庄に住む藤原皆足(ふじわらのみなたる)姫が観音菩薩の妙縁を感じ、金岡の郷に草庵を結んで千手観音を安置したのが起源と言われています。その後777年(宝亀8年)に奈良長谷寺・安隆上人(あんりゅうしょうにん)が現在の場所に堂宇を建立したと言われています。ちなみ西大寺は元々犀の角を戴き鎮めた地に建立されたことから犀戴寺(さいだいじ)と称していたが、1221年(承久3年)の承久の乱の際の後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇)による鎌倉幕府第2代執権・北条義時(ほうじょうよしとき)討伐の祈願文から西大寺に名称を改めました。その後幾度か罹災し、1507年(永正4年)の「金陵山古本縁起」により、1299年(正安元年)に本堂・常行堂・三重塔・鐘楼・経蔵・仁王門などを消失したと言われています。また塔頭寺院や僧坊もあったが、観音坊と称する一宇が西大寺一山の本坊となり、やがて現在の観音院になったと言われています。なお西大寺は本尊・千手観世音菩薩を安置し、中国三十三観音霊場の第一番札所になっています。
*参考・・・西大寺・会陽裸祭り西大寺・会陽裸祭りwikipedia

【会陽裸祭り2019 備考】
*イベント・お祭りなどの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者のサイトなどで確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。

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