竈門神社(桜見ごろ3月下旬頃~)福岡桜名所
竈門神社
竈門神社(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。竈門神社は福岡の桜名所です。竈門神社の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。竈門神社にはソメイヨシノ(染井吉野)・ヤマザクラ(山桜)など約60本の桜の木が植えられ、さくら祭りが行われます。(要確認)竈門神社には縁結び・方除け・厄除けのご利益があるとも言われています。
【竈門神社 アクセスマップ】
場所・・・福岡県太宰府市内山883
【竈門神社 アクセス・交通】
*西日本鉄道太宰府駅からバスの場合、内山バス停(徒歩すぐ)
*九州自動車道太宰府IC(車約20分)または筑紫野IC(車約25分)
*福岡都市高速道路2号線水城IC(車約20分)
【竈門神社 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【竈門神社 時間(要確認)】
自由
【竈門神社 料金(要確認)】
無料
【竈門神社 歴史・簡単概要】
竈門神社(かまどじんじゃ)は福岡県太宰府市内山にあります。竈門神社は社伝によると飛鳥時代の第38代・天智天皇の時代(668年~672年)に九州一円を統治する大宰府(だざいふ)政庁が現在の場所に移された際、鬼門(東北)に位置する標高約829.6メートルの宝満山(ほうまんざん・竈門山(かまどやま))に大宰府・国家鎮護の為の祭祀が始まったのが起源です。宝満山頂上に祀られている上宮が建つ巨岩の下からは和同開珎(わどうかいほう)・皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)・奈良三彩(ならさんさい)など奈良時代から平安時代初期に国家的な祭祀が行われていたことを示す出土品が確認されています。673年(天武天皇2年)に心蓮上人(しんれんしょうにん)が山中で修行中に祭神・玉依姫(たまよりひめ)が現れたことから奏上し、朝廷の命によって上宮が建立されました。竈門神社は平安時代初期の803年(承和22年)に神階・従五位上に叙され、平安時代後期の1106に(嘉承元年)に神階・正一位に叙されました。また竈門神社は「延喜式神名帳(927年(延長5年))」に「竃門神社 名神大」と記され、名神大社に列しました。ちなみに竈門神社は宝満宮(ほうまんぐう)・竈門宮(かまどぐう)とも言われています。なお竈門神社は玉依姫命(たまよりひめのみこと)を主祭神として祀り、縁結び(良縁)のご利益があるとも言われています。
太宰府市(だざいふし)は福岡県中西部(筑紫地域)に位置しています。太宰府市は筑紫野市・大野城市・宇美町に接しています。太宰府市は標高約829.6メートルの宝満山(ほうまんざん・竈門山(かまどやま))を源とする御笠川水系の本流で二級河川・御笠川(みかさがわ)上流域に位置し、福岡平野と筑紫平野を結ぶ二日市(ふつかいち)構造谷にあり、北部に標高約410メートルの四王寺山(しおうじやま)、東部に宝満山、西南部に標高約257.4メートルの天拝山(てんぱいざん)がそびえています。太宰府市では7世紀に筑紫大宰(つくしのおおみこともちのつかさ)が置かれ、第38代・天智天皇の時代(668年~672年)に九州一円を統治する大宰府(だざいふ)政庁が現在の場所に移され、664年(天智天皇3年)に水城(みずき)が設置されて防人(さきもり)が配置されました。太宰府市は九州の政治・経済・文化の中心になりました。太宰府市では901年(昌泰4年)に菅原道真(すがわらのみちざね)が大宰府に左遷され、903年(延喜3年)に菅原道真が亡くなり、905年(延喜5年)に菅原道真の墓の上に太宰府天満宮の前身となる廟が建立され、その後太宰府天満宮の門前町として栄えました。ちなみに太宰府市には大宰府跡 (国指定特別史跡) 以外にも筑前国分寺跡・刈萱関(かるかやのせき)跡・戒壇院・観世音寺などもあります。太宰府市では西部・南部で福岡都市圏のベッドタウンとして住宅開発が進んでいます。
*参考・・・竈門神社(アクセス・歴史・・・)
【竈門神社 見どころ・文化財】
竈門神社の見どころは竈門神社の桜です。竈門神社の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【竈門神社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・092-922-4106(宝満宮竈門神社)
【竈門神社 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●福岡桜名所・福岡桜見ごろ
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