普門寺(紅葉見ごろ11月下旬頃~)愛知紅葉名所

普門寺
普門寺(アクセス・見どころ・・・)情報を紹介しています。普門寺は愛知の紅葉名所です。普門寺の紅葉見ごろは例年11月下旬頃~12月上旬頃です。普門寺では紅葉が見ごろを迎える時期に普門寺もみじ祭り・重要文化財ご開帳などが行われています。(要確認)なお普門寺は豊橋のもみじ寺とも言われているが、樹齢450年以上で、豊橋市の天然記念物である大杉も植えられています。
【普門寺 アクセスマップ】
場所・・・愛知県豊橋市雲谷町字ナベ山下7
【普門寺 アクセス・交通】
*JR新所原駅(徒歩約40分)
*東名高速豊川IC(車約40分)または三ケ日IC(車約40分)
*国道23号名豊道路細谷IC(車約15分)
【普門寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【普門寺 時間(要確認)】
8:00~16:30
【普門寺 料金(要確認)】
無料
【普門寺 歴史・簡単概要】
普門寺(ふもんじ)は愛知県豊橋市雲谷町にあります。普門寺は奈良時代の727年(神亀4年)に僧・行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が創建したとも言われています。「普門寺縁起・1534年(天文3年)成立」には行基菩薩が関東に向かう途中で当山に登って修行していると観音様が現れ、「山の形にちなんで山号は「船形山」、観音様にちなんで寺号は「普門寺」と名付けよ」と告げられたことから自ら観音様を刻み、第45代・聖武天皇にお告げの内容を報告すると堂塔の建立が命じられたとも言われています。普門寺は第45代・天智天皇彫刻の五大明王を本尊とする東谷と観音様を本尊とする西谷からなり、聖武天皇は尊勝峯(神石山)と雨応峯(雨応山)から見渡せる範囲を寺領としたと言われています。普門寺にはかつて3,000余りの坊舎があったが、平安時代後期の嘉応年中(1169年~1171年)に比叡山延暦寺(えんりゃくじ)に攻められて焼失し、養和年間(1181年~1182年)に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の叔父とも言われる化積上人(かしゃくしょうにん)が中興したと言われています。その後平安時代末期に源頼朝が平家追討の祈祷を行い、源頼朝と等身大の不動明王像を造仏したとも言われています。1533年(天文2年)の兵火によって全山が焼失し、1603年(慶長8年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康から寺領朱印地100石が与えられ、江戸時代中期頃に本堂・仁王門などが再建されました。普門寺にはモミジなどが分布しています。なお普門寺は豊橋のもみじ寺とも言われています。
豊橋市(とよはしし)は愛知県南東部(東三河地方)に位置し、東三河地方の中心都市です。豊橋市の名称は豊川に架かる橋に由来しているそうです。ちなみに豊橋市は古代に飽海(あくみ)、中世に今橋(いまはし)・吉田(よしだ)と言われていたそうです。豊橋市は愛知県の豊川市・新城市・田原市、静岡県の浜松市・湖西市に接しています。豊橋市は愛知県東南端から西南西に突き出した渥美半島(あつみはんとう)の付け根に位置し、愛知県南東部に広がる豊橋平野(とよはしへいや・東三河平野(ひがしみかわへいや))の南半分にあり、西側を渥美半島と知多半島(ちたはんとう)に挟まれ三河湾(みかわわん)・南側を太平洋の遠州灘(えんしゅうなだ)に面し、北部を一級河川の豊川(とよがわ)・中部を二級河川の梅田川(うめだがわ)が西流して三河湾に注いでいます。豊橋市は1505年(永正2年)に長山一色城主・牧野古白(まきのこはく)が駿河今川家9代当主・今川氏親(いまがわうじちか)の命によって今橋城(吉田城)を築城し、1590年(天正18年)に池田輝政(いけだてるまさ)が吉田城に入城すると15万石にふさわしい城郭と城下町に整備し、吉田大橋(豊橋)を架け替えました。その後池田氏が播州姫路に転封され、江戸時代に三河吉田藩の藩庁が置かれ、東海道屈指の宿場町として繁栄し、東三河地方の政治・経済の中心地になりました。
*参考・・・普門寺(アクセス・歴史・・・)
【普門寺 見どころ・文化財】
普門寺の見どころは普門寺の紅葉です。普門寺の紅葉は例年11月中旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月下旬頃~12月上旬頃です。紅葉の見ごろにモミジなどが色付きます。紅葉のビュースポットは参道・諸堂周辺です。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。
【普門寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0532-41-4500(普門寺)
【普門寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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