古熊神社(梅見ごろ2月中旬~)山口梅名所
古熊神社
古熊神社(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。古熊神社は山口の梅名所です。古熊神社の梅見ごろは例年2月中旬頃からです。古熊神社には紅梅・白梅・しだれ梅など約90本の梅の木が植えられています。古熊神社では例年2月25日に御正祭(梅花祭)が行われ、神前に境内に咲いた紅白の梅の花が供えられます。
【古熊神社 アクセスマップ】
場所・・・山口県山口市古熊一丁目10-3
【古熊神社 アクセス・交通】
*山口線山口駅(徒歩約15分)
*中国自動車道小郡IC(車約20分)
【古熊神社 アクセス・駐車場】
駐車場不明
【古熊神社 時間(要確認)】
自由
【古熊神社 料金(要確認)】
無料
【古熊神社 歴史・簡単概要】
古熊神社(ふるくまじんじゃ)は山口県山口市古熊にあります。古熊神社は南北朝時代の1373年(文中2年・応安6年)に周防・長門・石見守護で、大内氏第9代当主・大内弘世(おおうちひろよ)が京都・北野天満宮(きたのてんまんぐう)から祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)の分霊を勧請し、現在の中市町山口井筒屋辺り(現在の場所から1キロ程離れた場所)に社殿を建立し、社名「北野天神」と言われたのが起源です。大内弘世は現在の山口中心部に住居を構え、山口を京都のような街にしようと一の坂川を鴨川(賀茂川)、椹野川を桂川に見立て整備しました。ちなみに山口は菅原道真の23番目の子で、11歳の菅原福部童子(すがわらのふくべどうじ)が901年(昌泰4年)に父・菅原道真が左遷された大宰府に向かう途中に夏の疫病に罹られ、902年(延喜2年)8月26日に亡くなった場所とされ、山口駅前にお墓が建てられています。古熊神社創建の際に福部童子も祭神として配祀され、例年8月26日に福部童子祭が行われています。江戸時代前期の1618年(元和4年)に長州藩初代藩主・毛利秀就(もうりひでなり)に「山口の北野天神を別の場所にお祭りする」ようにという神託があり、同年12月25日に中市町から現在の場所である古熊の東山山麓に遷座され、社名も「北野天神」から「今天神」に改められました。古熊神社には紅梅・白梅・しだれ梅など約90本の梅の木が植えられています。古熊神社では例年2月25日に御正祭(梅花祭)が行われ、神前に境内に咲いた紅白の梅の花が供えられます。その後供えられた梅の花はしばらく手水鉢に活けられ、参拝者も見ることができます。
山口市(やまぐちし)は山口県中央部に位置しています。山口市は山口県の県庁所在地です。山口市は山口県の周南市・美祢市・宇部市・防府市・萩市、島根県の津和野町・吉賀町に接しています。山口市は山口市宮野上の標高約100メートルの坂堂峠(さかどうとうげ)付近を源とする二級河川・椹野川(ふしのがわ)中流域の山口盆地に位置し、南北に長い市域の南部を瀬戸内海の山口湾に面し、椹野川・佐波川(さばがわ)・阿武川(あぶがわ)などが流れています。山口市は市域の北部が中国山地南西端で寒暖の差が激しく、中部・南部が瀬戸内海式気候に属して比較的温暖です。山口市は南北朝時代の1360年(延文5年・正平15年)に大内氏第9代当主・大内弘世(おおうちひろよ)が周防国を平定し、京都を模して城下町を整備し、日明貿易によって栄えました。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の際に京都を逃れてきた文化人を受け入れ、大内文化(おおうちぶんか)が栄えて「西の京」とも言われました。山口市では1863年(文久9年)に長州藩第13代藩主・毛利敬親(もうりたかちか)が山口移鎮(やまぐちいちん)によって天守の無い平城・山口城に藩庁を移し、明治維新後に山口県庁に移行しました。
*参考・・・古熊神社(アクセス・歴史・・・)
【古熊神社 見どころ・文化財】
古熊神社の見どころは古熊神社の梅です。古熊神社の梅見ごろは例年2月中旬頃からです。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。
【古熊神社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・083-922-0881(古熊神社)
【古熊神社 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
テスト