月照寺八房の梅(梅見ごろ2月下旬~)兵庫梅名所

月照寺八房の梅

月照寺八房の梅(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。月照寺八房の梅は兵庫の梅名所です。月照寺八房の梅の梅見ごろは例年2月下旬頃~3月中旬頃です。八房の梅は赤穂浪士四十七士の一人である間瀬正明が大石内蔵助とともに参詣した際、持参した鉢植の梅を手植したものと言われています。

【月照寺八房の梅 アクセスマップ】
場所・・・兵庫県明石市人丸町1-29

【月照寺八房の梅 アクセス・交通】
*人丸前駅(徒歩約4分)

【月照寺八房の梅 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【月照寺八房の梅 時間(要確認)】
9:00~17:00

【月照寺八房の梅 料金(要確認)】
確認中

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【月照寺八房の梅 歴史・簡単概要】
月照寺(げっしょうじ)八房の梅(やつふさのうめ)は兵庫県明石市人丸町あります。月照寺は今から約1,200年前、平安時代前期の811年(弘仁2年)に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が現在明石城が築城されている赤松山に湖南山餘鵜楊柳寺を創建したのが起源と言われています。その後887年(仁和3年)に覚証和尚が大和(奈良)の柿本山広安寺から人麿念持仏であった船乗十一面観世音を勧請して奥の院・人丸社に安置し、寺号を月照寺に改めました。戦国時代(室町時代後期)の1574年(天正2年)に曹洞宗(そうとうしゅう)の僧・安室が入寺し、真言宗から曹洞宗に改められました。江戸時代前期の1617年(元和3年)に小笠原忠真が信濃国松本から播磨国明石に転封され、明石城を築城することになり、1622年(元和8年)に月照寺・人丸社が現在の場所に移されました。江戸時代中期の1723年(享保8年)の人麿1,000年祭に人丸社に「正一位 柿本大明神」の神位・神号が宣下され、月照寺は永代勅願寺になり、霊元上皇から三十六歌仙式紙(明石市指定文化財)、桜町天皇から一座短籍(国の重要文化財)、後桜町天皇から短籍などが奉納されました。1744年(延享元年)に山号が現在の人丸山に改められました。1871年(明治4年)の神仏分離令により、人丸社が月照寺から分離して柿本神社になりました。なお八房の梅は赤穂浪士四十七士の一人である間瀬正明(ませまさあき)が大石内蔵助(おおいしくらのすけ)とともに参詣した際、持参した鉢植の梅を手植したものと言われています。八房の梅は1つの花に8つの実がなることから名付けられました。
明石市(あかしし)は兵庫県南部に位置しています。明石市は神戸市(垂水区・西区)・加古川市・稲美町・播磨町、明石海峡を挟んで淡路市に接しています。明石市は瀬戸内海に浮かぶ淡路島北側に位置し、淡路島を望む場所にあり、東西に長く播磨灘(はりまなだ)に面しています。明石市では明石原人やマンモス化石などが出土しています。明石市は古代から阪神と播磨を結ぶ陸上交通、本州から淡路島を経て四国に通じる海上交通の重要な拠点で、古くから宿駅が置かれていました。明石市では江戸時代に小笠原氏10万石の城下町、山陽道の宿場町として発達しました。明石市では戦前に航空機・鉄鋼工業などが発展したが、戦中に大被害を受け、市街地の8割以上が焼失しました。その後戦後に海岸沿いに埋立地が造成されて工業化が進み、播磨臨海工業地帯の一部になりました。また明石市では近年に住宅地が造成され、神戸市・大阪市など阪神間のベッドタウンになっています。明石市では漁業も盛んで、真鯛・真蛸・アナゴ・ノリなどが知られ、イカナゴの釘煮が名物になっています。なお明石市は日本標準時を決める東経135度線が通り、「子午線のまち」とも言われ、子午線上に建てられている明石市立天文科学館に日本標準時を刻む大時計が設置されています。
*参考・・・月照寺八房の梅(アクセス・歴史・・・)ホームページ

【月照寺八房の梅 見どころ・文化財】
月照寺八房の梅の見どころは月照寺八房の梅です。月照寺八房の梅の梅見ごろは例年2月下旬頃~3月中旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。

【月照寺八房の梅 連絡先(要確認)】
電話番号・・・078-911-4947(月照寺)

【月照寺八房の梅 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2018年(平成30年)4月

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