旧グラバー住宅(アクセス・歴史・・・)・世界遺産
旧グラバー住宅
旧グラバー住宅(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。旧グラバー住宅(グラバー邸)はグラバー園内になります。グラバー園内には旧グラバー住宅以外にも旧リンガー住宅・旧オルト住宅、そして移築された旧ウォーカー住宅・フリーメイソンロッジの門・旧三菱第2ドックハウス・旧長崎高商表門衛所・旧長崎地方裁判所長官舎・旧スチイル記念学校・旧自由亭などがあります。
【旧グラバー住宅 アクセスマップ】
場所・・・長崎県長崎市南山手町8番1号
【旧グラバー住宅 アクセス・交通】
*長崎電気軌道(5号系統石橋行き)・大浦天主堂下駅または石橋駅
【旧グラバー住宅 アクセス・駐車場】
駐車場なし
【旧グラバー住宅 時間(要確認)】
グラバー園
8:00~18:00 受付17:40終了
年中無休
夜間開園あり
【旧グラバー住宅 料金(要確認)】
グラバー園
個人
大人610円、高校生300円、小・中学生180円
団体(15名以上)
大人510円、高校生240円、小・中学生140円
【旧グラバー住宅 歴史・簡単概要】
旧グラバー住宅(きゅうグラバーじゅうたく)・グラバー邸(グラバーてい)はイギリススコットランド出身の貿易商であるトーマス・ブレーク・グラバーが住んでいた日本最古の木造洋風建築物(木造洋館)です。1858年(安政5年)に日米修好通商条約など安政五カ国条約(オランダ・ロシア・イギリス・フランス)が締結され、トーマス・ブレーク・グラバーは1859年(安政6年)の長崎開港直後に弱冠21歳で上海から来日し、1861年(文久元年)にグラバー商会を設立し、茶・絹の輸出や船舶・武器の輸入を行いました。坂本龍馬が中心となって結成した海援隊(かいえんたい)の前身である亀山社中(かめやましゃちゅう)と取引を行ったり、薩摩の五代友厚(ごだいともあつ)・森有礼(もりありのり)・寺島宗則(てらしまむねのり)・長澤鼎(ながさわかなえ)などの海外留学や長州の井上馨(いのうえかおる)・遠藤謹助(えんどうきんすけ)・山尾庸三(やまおようぞう)・伊藤博文(いとうひろぶみ)・井上勝(いのうえまさる)のイギリス渡航の手配なども行ったりしました。旧グラバー住宅は1863年(文久3年)のグラバーが24歳の時に南山手の高台に建築されました。グラバーは芸者・ツルと結ばれ、1876年(明治9年)に長女・ハナが生まれたが、1870年(明治3年)に諸藩からの資金回収が滞ったことなどからグラバー商会は破産し、1885年(明治18年)以後は三菱財閥の相談役として活躍し、晩年は東京で過ごし、1911年(明治44年)に亡くなりました。旧グラバー住宅はグラバーの死後、グラバーの長男・倉場富三郎(トミサブロー・アワジヤ・グラバー)が家主になったが、1939年に(昭和14年)に三菱重工業長崎造船所が大和型戦艦の二番艦・武蔵建造の秘密保持の為に取得しました。武蔵は1938年(昭和13年)3月29日から建造が始まったそうです。太平洋戦争後に一時進駐軍に接収されたが、1957年(昭和32年)に造船所創業100周年を記念し、三菱造船が長崎市に寄付し、1967年(昭和42年)に修理が完了しました。なお旧グラバー住宅は1961年(昭和36年)に主屋・付属屋が重要文化財に指定されました。
旧グラバー住宅は2015年(平成27年)に世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業)のひとつに登録されました。
*参考・・・旧グラバー住宅(アクセス・歴史・・・)・旧グラバー住宅(アクセス・歴史・・・)wikipedia
【旧グラバー住宅 見どころ・文化財】
旧グラバー住宅の見どころはグラバー邸に1本の松があり、一本松邸とも言われていた旧グラバー住宅そのものです。旧グラバー住宅は建築面積約510.8平方メートルの木造一階建で、屋根は多角形の寄棟造・桟瓦葺です。旧グラバー住宅はL字型バンガローで、レンガの煙突・コロニアル風大型窓などがあります。窓越しに庭を隔てて港が一望できるそうです。なおグラバー園の石畳の中にあるハート型の敷石(ハートストーン)も見どころです。ハートストーンに触れると恋愛が成就するとも言われいます。
【旧グラバー住宅 連絡先(要確認)】
電話番号・・・095-822-8223(グラバー園管理事務所)
【旧グラバー住宅 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月