防府天満宮裸坊祭11/25・26(日程・時間・・・)
裸坊祭2017は2017年11月25日・26日に行われます。裸坊祭2017では数百人の裸坊が先頭神輿・第二神輿を拝殿から出し、最後に祭神・菅原道真の御霊を移した重さ500キロの御網代輿を出し、「兄弟ワッショイ」の掛け声とともに58段の大石段を滑り降り、その後台車に仕立てて約5,000人の裸坊とともに菅原道真着船の地である勝間の浦の御旅所まで巡行します。
【裸坊祭2017 日程・時間(要確認)】
裸坊祭2017は2017年(平成29年)11月25日(土曜日)・26日(日曜日)に行われます。
【裸坊祭2017・防府天満宮 アクセス・マップ】
場所・・・山口県防府市松崎町14-1
*山陽本線・防府駅(徒歩約15分)
*山陽本線・防府駅からバス・阿弥陀寺行きの場合、防府天満宮(徒歩約3分)
【裸坊祭2017 概要】
裸坊祭2017では数百人の裸坊が先頭神輿・第二神輿を拝殿から出し、最後に祭神・菅原道真の御霊を移した重さ500キロの御網代輿(おあじろこし)を出し、「兄弟ワッショイ」の掛け声とともに58段の大石段を滑り降り、その後台車に仕立てて約5,000人の裸坊とともに菅原道真着船の地である勝間の浦の御旅所(浜殿)までの約2,5キロを巡行します。御旅所では勅使降祭の故事に倣って「無実の罪」を奏上して神霊を慰めると神威が若返り、その後防府天満宮に戻ります。ちなみに御神幸祭を終えた御網代輿は回廊内に奉安され、その下をくぐると天神様(祭神・菅原道真)のご加護がいただけると言われています。
●裸坊祭2017 日程・スケジュール(要確認)
11月25日
18:00~・・・御発輦
21:00頃・・・御帰還
11月26日
12:00~・・・天神おんな神輿
13:00~・・・奉納邦楽演奏会
*参考・・・裸坊祭2017
【裸坊祭 歴史・簡単概要】
裸坊祭(はだかぼうまつり)・御神幸祭(ごじんこうさい)は1004年(寛弘元年)10月15日に第66代・一条天皇の勅使が防府に派遣され、祭神・菅原道真の御霊を慰める勅使降祭が行われ、天皇から初めて「無実の罪」が奏上されたことが起源と言われています。裸坊祭では千年以上に渡って毎年「無実の知らせ」を伝えて御心を慰める為、縁深い勝間の浦まで渡御しています。2018年(平成30年)は第1015回目になります。裸坊祭の名称は江戸時代後期に裸坊祭に奉仕する民衆が潔白の証として、佐波川(さばがわ)で水垢離(みずごり)した姿のまま奉仕したことに由来するそうです。なお菅原道真の死後に京都では悪疫が続いたり、左遷に関わった人物などが亡くなったりしたことから菅原道真の怨霊の仕業と恐れられ、923年(延喜23年)に右大臣に復され、993年(正暦4年)に贈正一位・左大臣、贈太政大臣が追贈されました。
*参考・・・裸坊祭
【防府天満宮 歴史・簡単概要】
裸坊祭を行う防府天満宮(ほうふてんまんぐう)は祭神・菅原道真が大宰府で亡くなった翌904年(延喜2年)に創建され、「日本最初に創建された天神様」とも言われています。防府天満宮はかつて松崎天満宮・宮市天満宮などと称していたそうです。菅原道真は左遷された九州・大宰府に向かう途中、同族である山口周防国司・土師氏(はじし)を頼って本州最後の寄港地となる防府勝間の浦に着船し、「此地未だ帝土を離れず願わくは居をこの所に占めむ」と願って九州に旅立ち、大宰府で亡くなった903年(延喜3年)2月25日に勝間の浦に神光が現れ、酒垂山(天神山)に瑞雲が棚引って人々を驚かせたことから904年(延喜2年)に菅原道真の霊魂の「居(住まい)」を「この所」である松崎の地に建立し、「松崎の社」と号したと言われています。その後江戸時代中期に社殿が建立されたが、1952年(昭和27年)に焼失し、1958年(昭和33年)に京都大学教授・村田治郎の指導で、工学博士・杉山信三が設計した現在の社殿が再建されました。なお防府天満宮は菅原道真・天穂日命(あめのほひのみこと)・武夷鳥命(たけひなどりのみこと)・野見宿禰(のみのすくね)を祀り、京都・北野天満宮(きたのてんまんぐう)と福岡・太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)とともに日本三大天神と言われています。
*参考・・・防府天満宮・裸坊祭・防府天満宮・裸坊祭
【裸坊祭2017 備考】
*イベント・お祭りなどの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者のサイトなどで確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。