浦佐毘沙門堂裸押合い大祭3/3(日程・時間・・・)
裸押合い大祭2018は2018年3月3日に行われます。裸押合い大祭2018では上半身裸の男衆が「サンヨー、サンヨ!」の掛け声とともに押合い、一段高い所に祀られている本尊・毘沙門天(秘仏)を誰よりも早く、近くで参拝しようと押し合います。なお裸押合い大祭2018では男性のみ一般参加が可能で、さらしなどは会場で販売されているそうです。(要確認)
【裸押合い大祭2018 日程・時間(要確認)】
裸押合い大祭2018は2018年(平成30年)3月3日(土曜日)に行われます。
【裸押合い大祭2018・浦佐毘沙門堂 アクセス・マップ】
場所・・・新潟県南魚沼市浦佐2495
*JR上越線・浦佐駅(徒歩約5分)
【裸押合い大祭2018 概要】
裸押合い大祭2018では上半身裸の男衆が「サンヨー、サンヨ!」の掛け声とともに押合い、一段高い所に祀られている本尊・毘沙門天(秘仏)を誰よりも早く、近くで参拝しようと押し合います。浦佐多聞青年団は数週間、四足二足を食さず毎日水行をし、身も心も清めるそうです。なお裸押合い大祭2018では男性のみ一般参加が可能で、さらしなどは会場で販売されているそうです。(要確認)
●裸押合い大祭2018 日程・スケジュール(要確認)
3月2日 前夜祭
18:00~20:00・・・ご祈祷
20:00~・・・点火式
3月3日 大祭当日
8:30~・・・稚児行列・福餅撒与など(日中行事)
17:00~22:45・・・押合・弓張撒与・福餅撒与など(夜行事)
*参考・・・裸押合い大祭2018・裸押合い大祭2018
【裸押合い大祭 歴史・簡単概要】
裸押合い大祭(はだかおしあいたいさい)・越後浦佐毘沙門堂裸押合大祭は約1200年前、坂上田村磨が毘沙門堂を建立して守護仏・毘沙門天王を祀り、部下の将士・村長・村人らとともに国家安穏と戦捷(せんしょう・戦勝)を祈願し、五穀豊穣・家内安全・身体健康を祈り、祝宴の中で歌って踊って士気を鼓舞したことが起源とも言われています。その後毘沙門天を信仰する人々が各地から大勢集まって我先に参るようになったり、年頭にその年の除災招福を願う人が水行をして参前するようになったりし、徐々に裸になる人が多くなり、全員裸で毘沙門天に額づくようになったとも言われています。ちなみに裸押合い大祭は警備など重さ30キロ以上の大ローソクを使用することから大ローソク祭りとも言われています。なお裸押合い大祭は国指定無形民俗文化財(選択無形民俗文化財)に指定され、諸説はあるが、日本三大奇祭に数えられています。
*参考・・・裸押合い大祭
【普光寺・浦佐毘沙門堂 歴史・簡単概要】
裸押合い大祭を行う普光寺(ふこうじ)は元々807年(大同2年)に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が東夷征討した際、 国家鎮護の為にインドの仏工・毘首羯摩作とも言われる本尊・毘沙門天王を祀った場所でした。普光寺は1221年(承久3年)に鎌倉幕府3代将軍・源実朝(みなもとのさねとも)が地頭・平繁基から毘沙門堂に堂領を献じさせ、僧・道乗坊辯覚を毘沙門堂(天王堂)の別当に任じ、「永代殺生禁断」の令を下したのが起源とも言われています。道乗坊辯覚が令を広め、寺務の執行の為に普光寺の大伽藍を建立しました。慶長年間(1596年~1615年)の火災によって普光寺が焼失して荒廃したが、1680年(延宝8年)に普光寺20世・賢弘和尚が檀信徒の協力により、天下泰平・国王長久・風雨順時・万民与楽の為に再興しました。明治時代に古義真言宗(醍醐派)から新義真言宗(豊山派)に移りました。なお毘沙門堂は1917年(大正6年)に古社寺保存法に基づく国特別保護建造物に指定されたが、1931年(昭和6年)の火災によって焼失し、1937年(昭和12年)に再建されました。
*参考・・・普光寺 浦佐毘沙門堂・裸押合い大祭・普光寺 浦佐毘沙門堂・裸押合い大祭wikipedia
【裸押合い大祭2018 備考】
*イベント・お祭りなどの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者のサイトなどで確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。