萩反射炉(アクセス・歴史・・・)・世界遺産
萩反射炉
萩反射炉(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。萩反射炉などの反射炉は金属融解炉の一種です。反射炉は熱を発生させる燃焼室と精錬を行う溶解室が別々になっており、燃焼室で燃料を焚いて発生した熱を溶解室の天井・壁などに反射させ、溶解室の中の鉄などの金属を溶解させて精錬します。高い煙突には大量の空気を送り込む役割があります。
【萩反射炉 アクセスマップ】
場所・・・山口県萩市椿東4897-7
【萩反射炉 アクセス・交通】
*JR山陰本線・東萩駅(徒歩約20分)
*JR山陰本線・東萩駅から萩循環まぁーるバス(東回りコース)の場合、萩しーまーとバス停(徒歩約5分)
【萩反射炉 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【萩反射炉 時間(要確認)】
ガイド
9:00~17:00
【萩反射炉 料金(要確認)】
無料
【萩反射炉 歴史・簡単概要】
萩反射炉(はぎはんしゃろ)は山口県萩市椿東(ちんとう)にある反射炉跡です。萩反射炉には現在高さ約10.5メートルの安山岩積み(上部レンガ積み)の煙突部分だけが残されています。オランダの原書では高さが16メートルになっていることから約7割ほどの規模の反射炉が建設されたことになります。ちなみに江戸時代末期に建設された反射炉の内、現在残されているのは萩反射炉と静岡県伊豆の国市・韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)だけです。萩反射炉は1856年(安政3年)に建設されました。長州藩(萩藩)は江戸時代末期に中国でのアヘン戦争(1840年6月~1842年8月)や1853年(嘉永6年)のペリーの黒船来航により、軍事力強化(海防強化)の必要性を感じた為、西洋式の鉄製大砲を鋳造する反射炉の建設を計画しました。1855年(安政2年)7月に反射炉を建設した佐賀藩に藩士・山田宇右衛門(やまだうえもん)らを派遣し、西洋式の鉄製大砲の鋳造法習得を申し入れたが、製砲掛の不在などを理由に断られました。その後翌8月に小沢忠右衛門(おざわちゅうえもん)を改めて派遣し、反射炉の見学が許されたことからスケッチを持ち帰りました。1856年(安政3年)にスケッチなどをもとに萩反射炉が建設されたが、本格的な操業(西洋式の鉄製大砲の鋳造)の記録が無いことから一時期な試験炉として稼働しただけと言われています。萩藩の古文書には「安政3年(1856年)に反射炉を試作的に築いて大砲などの鋳造を試みたが、本式に反射炉を築造することを中止した」という内容が残されているそうです。ちなみに長州藩(萩藩)では1863年(文久3年)に下関事件、1864年(文久4年)に四国艦隊下関砲撃事件、1864年(元治元年)に長州征討(第一次長州征伐)、1866年(慶応2年)に長州再征(第二次長州征伐)などが起こりました。なお萩反射炉は1924年(大正13年)に国の史跡に指定されました。
萩反射炉は2015年(平成27年)に世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業)のひとつに登録されました。
*参考・・・萩反射炉(アクセス・歴史・・・)・萩反射炉(アクセス・歴史・・・)wikipedia
【萩反射炉 見どころ・文化財】
萩反射炉の見どころは高さ約10.5メートルの安山岩積み(上部レンガ積み)の煙突部分だけが残されている萩反射炉です。ちなみに反射炉の遺構は萩反射炉以外には静岡県伊豆の国市・韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)と鹿児島県鹿児島市・旧集成館(きゅうしゅうせいかん)だけにしか残されておらず、萩反射炉は日本の産業技術史上の貴重な遺跡と言われています。
【萩反射炉 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0838-25-3380(萩市世界文化遺産課)
【萩反射炉 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月