萩城下町(アクセス・歴史・・・)・世界遺産

萩城下町

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萩城下町(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。萩城下町では萩市観光協会が萩城城下町コースとして、江戸屋横町・円政寺・木戸孝允旧宅・旧久保田家住宅・菊屋家住宅・菊屋横町・高杉晋作誕生地・晋作広場高杉晋作立志像を巡るコースを紹介しています。萩城城下町コースは萩市中央公園の北東一角に集中し、散策しやすくなっています。

【萩城下町 アクセスマップ】
場所・・・山口県萩市南古萩町付近

【萩城下町 アクセス・交通】
*JR山陰本線・東萩駅(徒歩約20分)
*JR山陰本線・東萩駅から萩循環まぁーるバス(西回りコース) の場合、萩城跡・指月公園入口バス停(徒歩すぐ)

【萩城下町 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【萩城下町 時間(要確認)】

【萩城下町 料金(要確認)】

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【萩城下町 歴史・簡単概要】
萩城下町(はぎじょうかまち)は長州藩 (萩藩)の萩城(指月城(しづきじょう))を中心に形成された城下町です。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)で西軍総大将に擁立された豊臣政権五大老の一人で、安芸中納言・毛利輝元(もうりてるもと)は西軍が敗れ、改易だけは免れることができたが、中国9国112万石から周防国・長門国2か国29万8千石に減封され、1604年(慶長9年)に指月山に連なる干潟を埋め立てて萩城の築城を開始しました。輝元は関ヶ原の戦い後に剃髪して幻庵宗瑞(げんあんそうずい)と称し、嫡男で、長州藩初代藩主・毛利秀就(もうりひでなり)に家督を譲り、1604年(慶長9年)11月に本丸御殿など一部しか完成していない萩城に入城しました。その後1608年(慶長13年)に萩城が落成し、山口などから呼び寄せた町人などの協力によって萩城下町も少しずつ整備され、貞享年間(1684年~1688年)頃には萩城下町も完成したとも言われています。しかし1682年(天和2年)の天和の大火によって蔵元役所や80余の寺社・侍屋敷・町屋などが焼失し、長州藩第3代藩主・毛利吉就(もうりよしなり)が復興しました。1710年(宝永7年)に侍屋敷地であった地域が町人に売却され、1863年(文久9年)の山口移鎮(やまぐちいちん)により、長州藩第13代藩主・毛利敬親(もうりたかちか)が江戸幕府に無許可で山口城に藩庁を移すと萩城の藩庁としての役割は終えました。山口移鎮は外国船による艦砲射撃に弱い萩よりも内陸の山口の方が攘夷の指揮に都合がよいと考えられ、先ず湯治を理由に敬親が山口中河原御茶屋に滞在し、鴻ノ峰に天守の無い平城・山口城を築城しました。1874年(明治7年)の廃城令によって萩城の天守・櫓などが破却されました。
なお萩城下町では萩城跡が1966年(昭和41年)に国の史跡、萩城城下町が1967年(昭和42年)に国の史跡、堀内地区が1976年(昭和51年)に重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。
萩城下町は2015年(平成27年)に世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業)のひとつに登録されました。
*参考・・・萩城下町(アクセス・歴史・・・)萩城下町(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【萩城下町 見どころ・文化財】
萩城下町の見どころ重要伝統的建造物群保存地区に指定されている堀内地区です。堀内地区は旧萩城三の丸にあたり、東西9丁余(約990メートル)・南北6丁余(約660メートル)の広さ約77.4ヘクタールです。堀内地区には藩の諸役所(御蔵元・御木屋・諸郡御用屋敷・御膳夫所・御徒士所)や毛利一門・永代家老・寄組など上級藩士の侍屋敷が建ち並んでいました。堀内地区には現在も永代家老の益田家の物見矢倉・旧周布家の長屋門・繁沢家の長屋門・永代家老福原家の屋敷門・口羽家の表門と主屋など10数棟の武家屋敷が残されています。

【萩城下町 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0838-25-3380(萩市世界文化遺産課)

【萩城下町 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2018年(平成30年)4月

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