般若院のしだれ桜(桜見ごろ3月中旬頃~)茨城桜名所

般若院のしだれ桜

般若院のしだれ桜

般若院のしだれ桜(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。般若院のしだれ桜は茨城の桜名所です。般若院のしだれ桜の桜見ごろは例年3月中旬頃~3月下旬頃です。般若院のしだれ桜は推定樹齢500年のエドヒガン(江戸彼岸)の園芸品種です。般若院のしだれ桜は樹高約10メートル・目通り幹囲約5メートルで、枝張り南北約22メートル・東西約15メートルです。ライトアップが行われています。(要確認)

【般若院のしだれ桜 アクセスマップ】
場所・・・茨城県龍ケ崎市3341

【般若院のしだれ桜 アクセス・交通】
*関東鉄道竜ヶ崎駅(徒歩約15分)

*首都圏中央連絡自動車道牛久阿見IC(車約20分)

【般若院のしだれ桜 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【般若院のしだれ桜 時間(要確認)】
自由

【般若院のしだれ桜 料金(要確認)】
無料

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【般若院のしだれ桜 歴史・簡単概要】
般若院のしだれ桜(はんにゃいんのしだれざくら)・龍ケ崎のしだれ桜は茨城県龍ケ崎市にあります。般若院のしだれ桜は般若院の本堂裏手に植えられています。般若院(金剛山観仏寺)は平安時代中期の978年(天元元年)に道珍法師が貝原塚町に創建したと言われています。その後戦国時代(室町時代後期)の1525年(大永4年)に現在の根町に移されました。当時の住職・考観法印は小野(稲敷市)にある天台宗(てんだいしゅう)・逢善寺(ほうぜんじ)12世・尊雄の子で、諸堂も建立されました。天正年間(1573~1592年)に城主・土岐山城守は山内(現美浦村)に顕密両界の阿弥陀堂・観音堂を建立し、般若院は祈願寺になりました。その後仙台の伊達陸奥守の所領になり、1628年(寛永5年)に伊達家代々の位牌所の御朱印を受けました。寛永年間(1624年~1644年)に第108代・後水尾天皇の勅命により、朗月晃順法印が法談を命ぜられ、別格寺の待遇になり、逢善寺末寺二百余カ寺の筆頭になりました。江戸時代前期に雨乞いで江戸の大干ばつを救ったとして、「虎の尾」を拝領しました。その後12世・義堂法印が大永年間(1521年~1528年)・天正年間(1573年~1592年)に建立された諸堂を改築しました。1856年(安政3年)の大暴風で阿弥陀堂・鐘楼堂・本堂を残して倒壊し、1963年(昭和38年)に再建されました。般若院のしだれ桜は推定樹齢500年のエドヒガン(江戸彼岸)の園芸品種です。般若院のしだれ桜は樹高約10メートル・目通り幹囲約5メートルで、枝張り南北約22メートル・東西約15メートルです。なお般若院のしだれ桜は茨城県の天然記念物に指定されています。
龍ケ崎市(りゅうがさきし)は茨城県南部に位置しています。龍ケ崎市は牛久市・つくば市・稲敷市・取手市・つくばみらい市・河内町・利根町に接しています。龍ケ崎市は北部が関東ローム層の稲敷台地(いなしきだいち・常陸台地(ひたちだいち))、南部が小貝川(こかいがわ)・鬼怒川(きぬがわ)が形成した沖積低地と自然堤防になっています。龍ケ崎市は古代に河内郡(かっちぐん)に属し、中世に龍崎氏(りゅうがさきし)・土岐氏(ときし)の所領になり、市街地の基礎が築かれました。龍ケ崎市は江戸時代初期に仙台藩伊達氏(だてし)の飛地藩領になり、小貝川と鬼怒川が分流され、小貝川の河道も西側に移されて稲作が発展し、米や竜ヶ崎木綿の集散地として発達しました。龍ケ崎市では明治時代に龍ケ崎木綿から養蚕に転換し、戦後に野菜などの栽培に転換しました。ちなみに龍ケ崎市は温和な気候で、水田地帯で稲作も行われています。龍ケ崎市では戦前・戦中に軍需工場が立地して工業が発達し、戦後つくばの里工業団地が造成されると機械・金属・電気器具・食品などの業種も立地するようになりました。また龍ケ崎市では竜ヶ崎ニュータウンが造成され、流通経済大学が設置されると人口が増加して住宅都市化しました。
*参考・・・般若院のしだれ桜(アクセス・歴史・・・)

【般若院のしだれ桜 見どころ・文化財】
般若院のしだれ桜の見どころは般若院のしだれ桜です。般若院のしだれ桜の桜見ごろは例年3月中旬頃~3月下旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【般若院のしだれ桜 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0297-64-1111(龍ケ崎市役所商工観光課)

【般若院のしだれ桜 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
茨城桜名所・茨城桜見ごろ

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