枚岡神社(アクセス・概要・見どころ・・・)
枚岡神社
枚岡神社(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。枚岡神社では毎年1月11日に粥占神事(大阪府選択無形民俗文化財)が行われています。米5枡・小豆3枡を大釜で炊き、その中に長さ約15センチの占竹53本・1束を吊り下げて入れ、占竹の中に入った小豆粥の状態により、その年の作物の豊凶を占います。一年の天候も占います。
【枚岡神社 アクセスマップ】
場所・・・大阪府東大阪市出雲井町7番16号
【枚岡神社 アクセス・交通】
*近鉄奈良線枚岡駅(徒歩すぐ)
【枚岡神社 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【枚岡神社 時間(要確認)】
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【枚岡神社 料金(要確認)】
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【枚岡神社 歴史・簡単概要】
枚岡神社(ひらおかじんじゃ)は「元要記」などによると紀元前660年(神武天皇元年)2月11日(辛酉年1月1日)に初代・神武天皇(じんむてんのう)が奈良・橿原宮(かしはらのみや)に即位される3年前(紀元前663年)に創建されたとも言われています。初代・神武天皇による日向(ひゅうが)からの東征(とうせい)の際、中臣(なかとみ)氏の遠祖にあたる天種子命(あめのたねこのみこと)が初代・神武天皇の勅命により、国土平定の平国(くにむけ)を祈願する為、中臣氏祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)とその妻神・比売御神(ひめみかみ)の二神を霊地・神津嶽(かみつだけ)に一大磐境(いわさか)を設けて祀られたのが起源とも言われています。飛鳥時代中期の650年(白雉元年)9月16日に中臣系氏族とも言われる平岡連(ひらおかむらじ・平岡氏)らが神津嶽から山麓の現在の場所に移しました。奈良時代後期の768年(神護景雲2年)に祭神である天児屋根命・比売御神の二神が春日山本宮の峰に影向せられて奈良・春日大社(かすがたいしゃ・春日神社)に祀られ、枚岡神社は元春日(もとかすが)とも言われています。その後778年(宝亀9年)に茨城県鹿嶋市の鹿島神宮(かしまじんぐう)の祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)と千葉県香取市の香取神宮の祭神・斎主命(いわいぬしのみこと・経津主命(ふつぬしのみこと)の二神を春日大社から勧請し、祭神が4柱になりました。平安時代前期の856年(貞観元年)に主祭神・天児屋根命が神階・正一位を賜り、「延喜式神名帳(927年(延長5年))」に「枚岡神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗」と記されて名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられました。その後勅使参向のもとで祭礼が行われ、度々祈雨・祈病平癒の奉幣に預かり、平安時代後期の1091年(寛治5年)に第73代・堀河天皇(ほりかわてんのう)が参拝しました。平安時代末期からは河内国一宮として崇敬され、太政大臣・平清盛(たいらのきよもり)、牛若丸(うしわかまる)とも言われる源義経(みなもとのよしつね)、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)、室町時代初代将軍・足利尊氏(あしかがのたかうじ)、豊臣秀頼(とよとみひでより)など天皇・公家・武家から奉納を受けました。なお枚岡神社は第一殿に天児屋根命、第二殿に比売御神、第三殿に経津主命、第四殿に武甕槌命を祀っています。
*参考・・・枚岡神社(アクセス・歴史・・・)ホームページ・枚岡神社(アクセス・歴史・・・)wikipedia
【枚岡神社 見どころ・文化財】
枚岡神社の見どころは東大阪市指定文化財である本殿4棟です。本殿4棟は江戸時代後期の1826年(文政9年)に建立されました。また江戸時代初期の1602年(慶長7年)に関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼の寄進によって制作された銅製擬宝珠も見どころです。
【枚岡神社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・072-981-4177
【枚岡神社 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月