人吉城跡(紅葉見ごろ・アクセス・・・)・日本紅葉の名所100選

人吉城跡

人吉城跡(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。人吉城跡は日本紅葉の名所100選に選ばれた紅葉名所です。人吉城跡の紅葉見ごろは例年11月中旬頃です。人吉城跡には復元された隅櫓・大手門脇多聞櫓・続塀や人吉城歴史館などがあります。人吉城歴史館では石造り地下室の遺構や出土した霊石、そして長さ12メートルの球磨絵図などを見ることができます。

【人吉城跡 アクセスマップ】
場所・・・熊本県人吉市

【人吉城跡 アクセス・交通】
*JR人吉駅(徒歩約20分)

【人吉城跡 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【人吉城跡 時間(要確認)】

【人吉城跡 料金(要確認)】


【人吉城跡 歴史・簡単概要】
人吉城跡(ひとよしじょう)は熊本県人吉市にあります。人吉城は最上川(もがみがわ)・富士川(ふじがわ)とともに日本三大急流に数えられる熊本県内最大の河川である一級河川・球磨川(くまがわ)とその支流である胸川(むねかわ)の合流点にある山に築城され、北側と西側が球磨川と胸川による天然の堀、東側と南側は山の斜面と崖による天然の城壁になっています。人吉城は平安時代末期に平清盛の異母弟である平頼盛(たいらのよりもり)の家臣・矢瀬主馬佑(やぜしゅめのすけ)の城だった場所です。1205年(元久2年)に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝に仕え、肥後国人吉荘の地頭に任ぜられた鎌倉幕府御家人・相良長頼(さがらながより)が矢瀬主馬佑を謀殺して人吉城の基礎を築き、三日月型の模様の入った石が出土したことから繊月城(せんげつじょう)・三日月城とも言われました。矢瀬主馬佑の母・津賀が自害して亡霊になって祟ったとも言われ、その後三の丸に鎮魂のお津賀の社が建立されたと言われています。ちなみに相良氏は明治維新まで35代・670年に渡って在城することになりました。戦国時代に相良氏が球磨地方を統一し、天正年間(1573年~1593年)に相良氏第18代当主・相良義陽(さがらよしひ)が大改修を始め、度々中断したこともあったが、1639年(寛永16年)に第22代当主・相良頼寛(さがらよりひろ)が近代城郭に整備しました。1802年(享和2年)と1862年(文久2年)の火災によって建物が全焼し、その後一部の建物が再建されたが、1871年(明治4年)の廃藩置県によって廃城になりました。1877年(明治10年)の西南戦争の際に西郷隆盛軍の拠点になり、幕末に再建された建物も消失し、焼け残った堀合門が民家に移築されました。その後人吉城跡は人吉城公園に整備され、1961年(昭和36年)に国の史跡に指定され、1989年(平成元年)に隅櫓が復元され、1993年(平成5年)に大手門脇多聞櫓・続塀が復元され、2005年(平成17年)には人吉城歴史館が開館し、施設内に石造り地下室の遺構が保存されています。ちなみに幕末に整備された石垣の一部はヨーロッパの槹出工法(はねだしこうほう)を応用した武者返しになっています。なお人吉城跡は日本100名城に選ばれています。
*参考・・・人吉城跡(アクセス・歴史・・・)人吉城跡(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【人吉城跡 見どころ・文化財】
人吉城跡の見どころは人吉城跡の紅葉です。人吉城跡の紅葉は例年10月中旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月中旬頃です。紅葉の見ごろにハゼ・カエデ・ドウダンツツジなどが色付きます。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。また夏に気温が高く、雨量が多かった時には秋に美しい紅葉が期待できるそうです。なお紅葉は緑色の色素・クロロフィルが分解され、赤色の色素・アントシアンが生成されることで起こります。黄葉は緑色の色素・クロロフィルが分解され、黄色の色素・カロチノイドだけが残ることで起こります。

【人吉城跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0966-22-1370(人吉温泉観光協会)

【人吉城跡 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2017年(平成29年)4月
●日本紅葉の名所100選

関連記事

最近のコメント

    ページ上部へ戻る