日和山公園(桜見ごろ4月上旬頃~)宮城桜名所

日和山公園

日和山公園

日和山公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。日和山公園は宮城の桜名所です。日和山公園の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。日和山公園にはソメイヨシノ(染井吉野)・ヒガンザクラ(彼岸桜)・シダレザクラ(枝垂桜)・ヤエザクラ(八重桜)・シキザクラ(四季桜)など約400本の桜の木が植えられています。日和山からは石巻市内などを一望することができます。

【日和山公園 アクセスマップ】
場所・・・宮城県石巻市日和が丘2

【日和山公園 アクセス・交通】
*JR石巻駅(徒歩約20分)

*三陸自動車道石巻港IC(車約20分)

【日和山公園 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【日和山公園 時間(要確認)】
自由

【日和山公園 料金(要確認)】
無料

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【日和山公園 歴史・簡単概要】
日和山公園(ひよりやまこうえん)は宮城県石巻市日和が丘にあります。日和山公園は旧北上川(きゅうきたかみがわ)西岸で、奈良時代後期の780年(宝亀11年)に陸奥鎮守副将軍・百王俊哲の奏上によって創建されたとも言われる鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)が祀られ、鎌倉時代に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)の家人・葛西清重(かさいきよしげ)が築城した石巻城があった標高約61.3メートルの日和山に整備された公園です。安土桃山時代の1590年(天正18年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が葛西氏を滅ぼし、石巻城は荒廃したとも言われています。江戸時代に千石船の出航を判断したり、航路の目標となったりする重要な山だったとも言われ、日和山東南の中腹に航路を指示する「マネキ」という通称名が残されています。江戸時代中期の1689年(元禄2年)に俳人・松尾芭蕉(まつおばしょう)と弟子・河合曾良(かわいそら)と訪れ、石巻の繁栄ぶりに驚かされた様子が「奥の細道(おくのほそみち)」から読み取れます。日和山からは石巻市内や北上川・太平洋などを一望することができます。晴れた日には牡鹿半島や松島なども遠くに見られます。日和山公園にはソメイヨシノ(染井吉野)・ヒガンザクラ(彼岸桜)・シダレザクラ(枝垂桜)・ヤエザクラ(八重桜)・シキザクラ(四季桜)など約400本の桜の木が植えられています。ちなみに日和山は江戸時代から桜の名所だったそうです。
石巻市(いしのまきし)は宮城県北東部に位置しています。石巻市は宮城県県内で2番目に人口が多い市町村です。石巻市は東松島市・登米市・涌谷町・美里町・女川町・南三陸町に接しています。石巻市は岩手県岩手郡岩手町の弓弭の泉(ゆはずのいずみ)を源とする北上川水系の本流で一級河川・北上川(きたかみがわ)流域と太平洋に向かって南東に突きだした牡鹿半島(おしかはんとう)に広がり、北上川・旧北上川・真野川・定川などが流れ、東側から南側を太平洋に面しています。石巻市には貝塚があり、旧石器時代には人が既に住み、縄文時代に集団で生活をしていたとも言われています。石巻市は鎌倉時代に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)の家人・葛西清重(かさいきよしげ)が石巻城を築城するとその城下町として発達したと言われています。石巻市は江戸時代前期に伊達政宗(だてまさむね)の命によって北上川の河道が改修されると北上川が米輸送の大動脈になり、石巻湊(石巻港)は米の積出港として藩内随一の港町になりました。石巻湊は日本海側の酒田湊(酒田港)とともに奥羽二大貿易港に数えられました。しかし明治時代に東北本線から外れると交易港の役割が衰退し、その後塩釜・気仙沼とともに金華山沖漁場の漁業基地になりました。石巻市は1960年代以降に新産業都市に指定されると仙台湾の北部拠点として石巻工業港・新漁港が開港し、水産加工業・造船業・製紙パルプ業などが盛んな水産・工業都市に発展しました。
*参考・・・日和山公園(アクセス・歴史・・・)

【日和山公園 見どころ・文化財】
日和山公園の見どころは日和山公園の桜です。日和山公園の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【日和山公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0225-95-1111(石巻市産業部観光課)

【日和山公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
宮城桜名所・宮城桜見ごろ

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