星田妙見宮・小松神社(桜見ごろ3月下旬頃~)大阪桜名所
星田妙見宮・小松神社
星田妙見宮・小松神社(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。星田妙見宮は大阪の桜名所です。星田妙見宮の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。星田妙見宮には星田神社との間の妙見川両岸にソメイヨシノ(染井吉野)・ヤマザクラ(山桜)・ヒカンザクラ(緋寒桜)など約400本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)
【星田妙見宮・小松神社 アクセスマップ】
場所・・・大阪府交野市星田9-60-1
【星田妙見宮・小松神社 アクセス・交通】
*JR片町線星田駅(徒歩約30分)
*第二京阪道路交野南IC(車10分)
【星田妙見宮・小松神社 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【星田妙見宮・小松神社 時間(要確認)】
自由
【星田妙見宮・小松神社 料金(要確認)】
無料
【星田妙見宮・小松神社 歴史・簡単概要】
星田妙見宮(ほしだみょうけんぐう)・小松神社(こまつじんじゃ)は大阪府交野市星田にあります。星田妙見宮は社伝によると平安時代初期の弘仁年間(810年~823年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、仏眼仏母尊(ぶつげんぶつもそん)の秘法を唱えられると天上から七曜の星(北斗七星)が3つに分かれて降り、1つが星田傍示川沿いの高岡山東の星の森、もう1つが降星光林寺境内、そして最後の1つが星田妙見宮の御神体であると言われています。その後弘法大師・空海が自ら三光清岩正身の妙見と称し、北辰妙見大悲菩薩独秀の霊岳・神仏の宝宅諸天善神影向来会の名山として祀ったそうです。星田妙見宮は平安時代に神禅寺と称され、天野山金剛寺の古文書に「嘉承元年(1106年)9月23日、星田神禅寺」と記されています。その後第53代・淳和天皇、第72代・白河天皇、南朝初代で第96代・後醍醐天皇などの歴代天皇や楠木正成(くすのきまさしげ)・加藤清正(かとうきよまさ)などの武将、そして農民にも崇敬されました。星田妙見宮には星田神社との間の妙見川両岸にソメイヨシノ(染井吉野)・ヤマザクラ(山桜)・ヒカンザクラ(緋寒桜)など約400本の桜の木が植えられています。桜は日本最古の和歌集「万葉集(まんようしゅう)」や「新古今和歌集(鎌倉時代初期)」に詠まれ、妙見の観桜として交野市の交野八景に指定されています。
交野市(かたのし)は大阪府北東部(北河内地域)に位置しています。交野市は大阪府の枚方市・寝屋川市・四條畷市、奈良県の生駒市に接しています。交野市は大阪平野と京都盆地・奈良盆地を隔てる生駒山地(いこまさんち)北麓に位置し、北部に交野台地に広がり、市域の中央を一級河川・淀川(よどがわ)の支流で一級河川・天野川(あまのがわ)が南北に流れています。交野市は市域の50%が山林に占められています。交野市は縄文時代・弥生時代の遺跡が多くあり、古くから人が住んでいたとも言われています。交野市は古代から中世の土地区画制度である条里制(じょうりせい)の遺構があり、平安時代以降に皇室の狩猟地になって鷹狩が行われたり、詩歌に歌われたりしました。交野市は江戸時代に米麦作と河内木綿の栽培が行われ、1960年頃まで農村的性格が強かったが、その後京阪電鉄交野線の複線化などによって宅地化・都市化が進みました。
*参考・・・星田妙見宮・小松神社(アクセス・歴史・・・)ホームページ
【星田妙見宮・小松神社 見どころ・文化財】
星田妙見宮の見どころは星田妙見宮の桜です。星田妙見宮の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【星田妙見宮・小松神社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・072-893-1105(星田会館)
【星田妙見宮・小松神社 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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