城山公園・法勝寺川土手(桜見ごろ3月下旬頃~)鳥取桜名所

城山公園・法勝寺川土手
城山公園・法勝寺川土手(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。城山公園・法勝寺川土手は鳥取の桜名所です。城山公園・法勝寺川土手の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。城山公園・法勝寺川土手には約2キロにソメイヨシノ(染井吉野)など700本を超える桜の木が植えられ、南部町さくらまつり・ライトアップが行われています。(要確認)
【城山公園・法勝寺川土手 アクセスマップ】
場所・・・鳥取県西伯郡南部町法勝寺
【城山公園・法勝寺川土手 アクセス・交通】
*JR米子駅からバスの場合、図書館前バス停(徒歩約5分)
*山陰自動車道米子西IC(車約20分)または米子自動車道溝口IC(車約30分)
【城山公園・法勝寺川土手 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【城山公園・法勝寺川土手 時間(要確認)】
自由
【城山公園・法勝寺川土手 料金(要確認)】
無料
【城山公園・法勝寺川土手 歴史・簡単概要】
城山公園・法勝寺川土手(しろやまこうえん・ほっしょうじがわどて)は鳥取県西伯郡南部町法勝寺にあります。城山公園・法勝寺川土手にはかつて法勝寺城が築城されていたと言われています。法勝寺城は室町時代中期の1481年(文明13年)9月11日が資料による初見で、室町時代中期には既に山名氏が築城していたとも言われています。「山名政之書状」によると1481年(文明13年)に伯耆国(ほうき)守護・山名政之(やまなまさゆき)が守護職を巡って叔父・山名元之(やまなもとゆき)の軍勢が籠っていた法勝寺城を攻撃したとも言われています。その後荒廃したとも、放棄されたとも言われ、戦国時代の1564年(永禄7年)に毛利氏が修復し、備中の有力国人・三村家親(みむらいえちか)が城主になりました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後に伯耆国米子藩主・中村一忠(なかむら かずただ)が入封すると法勝寺城が廃城になりました。法勝寺城は中世特有の典型的な山城で、曲輪・土塁・空堀などの遺構が残されています。法勝寺城跡は南部町の文化財に指定され、城山公園として整備されています。法勝寺川は南部町と日南町の境にある五輪峠付近を源とする一級河川・日野川(ひのがわ)の支流です。城山公園・法勝寺川土手には約2キロにソメイヨシノ(染井吉野)など700本を超える桜の木が植えられています。
南部町(なんぶちょう)は鳥取県西部に位置しています。南部町は日吉津村(ひえづそん)・大山町(だいせんちょう)・伯耆町(ほうきちょう)とともに西伯郡(さいはくぐん)を構成し、鳥取県の米子市・伯耆町・日南町・日野町、島根県の安来市に接しています。南部町は南部に標高約731メートルの鎌倉山(かまくらやま)など標高400~700メートル前後の山々が連なり、北部に標高約332メートルの手間要害山(てまようがいさん)など標高200~300メートルの低山・丘陵地があり、南部町と日南町の境にある五輪峠付近を源とする日野川(ひのがわ)の支流・法勝寺川(ほっしょうじがわ)が西部を北流し、鎌倉山を源とする東長田川(ひがしながたがわ)と合流しています。南部町では法勝寺川と要害山東麓を北流する小松谷川(こまつだに)流域など沖積平野が広がり、稲作が行われています。南部町では要害山北麓に位置する普段寺一号墳(ふだんじいちごうふん)から三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)が出土する鳥取県内有数の古墳密集地域で、古くから人が住んでいたと言われています。南部町では古くから法勝寺川上流でたたら製鉄が行われていました。南部町は江戸時代に米子城下と日野郡方面を結ぶ法勝寺往来に宿場・法勝寺宿が置かれ、奥日野産の鉄や雲州木綿の流通で賑わいました。大正時代に南部製糸販売利用組合による近代的な製糸工場が立地していました。
*参考・・・城山公園・法勝寺川土手(アクセス・歴史・・・)
【城山公園・法勝寺川土手 見どころ・文化財】
城山公園・法勝寺川土手の見どころは城山公園・法勝寺川土手の桜です。城山公園・法勝寺川土手の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【城山公園・法勝寺川土手 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0859-66-3113(南部町役場企画政策課)
【城山公園・法勝寺川土手 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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