生田神社(アクセス・概要・見どころ・・・)

生田神社

生田神社

生田神社(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。生田神社は799年(延暦18年)4月9日の洪水で社殿が傾斜して遷座した際、社殿の周囲には松が植えられていたが、洪水を防ぐことができなかったことから松は不吉とされ、現在も境内には松は1本も植えられていないそうです。そしてお正月には門松の代わりに杉飾り(杉盛り)を立てるそうです。

【生田神社 アクセスマップ】
場所・・・兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2-1

【生田神社 アクセス・交通】
*JR三ノ宮駅(徒歩約10分)
*阪急神戸三宮駅(徒歩約10分)
*阪神神戸三宮駅(徒歩約10分)
*JR新神戸駅(徒歩約20分)

【生田神社 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【生田神社 時間(要確認)】
7:00~日没

お札授与所
8:00~18:00(4/29~9/23)
8:00~17:00(9/24~4/28)

【生田神社 料金(要確認)】
無料

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【生田神社 歴史・簡単概要】
生田神社(いくたじんじゃ)は起源が明確ではありません。生田神社は社伝によると201年(神功皇后元年)の第14代・仲哀天皇の皇后・神功皇后(じんぐうこうごう)による三韓外征(三韓征伐)の帰途、神戸港で船が進まなくなった為に神占(しんせん)を行ったところ祭神・稚日女尊(わかひるめのみこと)が現れ、「私は活田長峡国(いくたのながおのくに)に居りたい」と申され、生田神社社家の先祖である海上五十狭茅(うながみのいさち)を神主として祀ったのが起源とも言われています。稚日女尊は神代の昔、機殿で神服を織っており、家庭生活を守るご神徳があるとも言われています。生田神社は当初新神戸駅の奥にある砂山(いさごやま・布引山(ぬのびきやま))に祀られていたが、799年(延暦18年)4月9日の洪水で布引の渓流が氾濫し、砂山西端が崩壊して社殿が傾斜したことから生田村・刀禰七太夫(とねしちだゆう)がご神体を背負って7、8日間鎮座地を探し巡り、生田の森で突然ご神体が重くなったことからご神意であろうとその場所に安置しました。806年(大同元年)に朝廷からお供えする家・世話をする家・守る家である神戸(かんべ)44戸を賜り、「かんべ」が「こんべ」となったとも言われています。その後859年(貞観元年)に神階が従五位下勲八等から従四位下勲八等、868年(貞観10年)に従四位下勲八等から従三位勲八等に昇進し、「延喜式神名帳(927年(延長5年))」では「摂津国八部郡 生田神社」と記され、名神大社に列しました。その後1938年(昭和13年)の神戸大水害・1945年(昭和20年)の神戸大空襲・1995年(平成7年)の阪神淡路大震災などで度々社殿が被災したが、その都度復興され、「蘇る神」としても信仰されるようになったそうです。なお生田神社は稚日女尊を祀っています。また生田神社は住吉神社・八幡神社・諏訪神社・日吉神社・市杵島神社・稲荷神社・塞神社・雷大臣神社・人丸神社・蛭子神社・大海神社・人丸神社・蛭子神社・大海神社・松尾神社・戸隠神社・生田森坐社などの摂末社も祀っています。
*参考・・・生田神社(アクセス・歴史・・・)ホームページ生田神社(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【生田神社 見どころ・文化財】
生田神社の見どころは1995年(平成7年)の阪神淡路大震災後に再建された本殿です。また平安時代中期に清少納言が執筆した「枕草子」に「森は大あらきの森、信太の森、生田の森」と記されたり、平安時代末期の源平合戦で1184年(寿永3年)に平清盛の四男・平知盛を大将とする平家軍が陣を構えた生田の森も見どころです。なお古今撰和歌集・後撰撰和歌集に次ぐ第3番目の勅撰和歌集である(しゅういわかしゅう)拾遺和歌集(平安時代中期)などに詠まれている生田の池も見どころです

【生田神社 連絡先(要確認)】
電話番号・・・078-321-3851

【生田神社 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2018年(平成30年)4月

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