犬山城(桜見ごろ3月下旬頃~)愛知桜名所

犬山城

犬山城

犬山城(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。犬山城は愛知の桜名所です。犬山城の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。犬山城にはソメイヨシノ(染井吉野)など約40本の桜の木が植えられ、犬山祭が行われます。ただライトアップは行われないそうです。(要確認)犬山城は天守が国宝に指定された5城(姫路城・松本城・彦根城・松江城)のひとつです。

【犬山城 アクセスマップ】
場所・・・愛知県犬山市犬山北古券65-2

【犬山城 アクセス・交通】
*名鉄犬山線犬山駅(徒歩約20分)または犬山遊園駅(徒歩約15分)

*名神高速道路小牧IC(車約25分)または東海北陸道岐阜各務原IC(車約25分)

【犬山城 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【犬山城 時間(要確認)】
9:00~17:00 受付16:30終了
12月29日~31日は休日

【犬山城 料金(要確認)】
個人
一般550円、中学生・小学生110円

団体(30名以上)
一般495円

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【犬山城 歴史・簡単概要】
犬山城(いぬやまじょう)は愛知県犬山市にあります。犬山城は京都で勃発した応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の最中の1469年(文明元年)に岩倉織田氏当主・織田敏広(おだとしひろ)の弟・織田広近(おだひろちか)が砦を築いたのが起源とも言われています。その後西軍だった岩倉織田氏が衰退し、1537年(天文6年)に織田信長の叔父で、清洲三奉行の織田信秀(おだのぶひで)の弟・織田信康(おだのぶやす)が居城・木ノ下城(きのしたじょう)を廃して、後堅固(うしろけんご)の城を築城しました。1547年(天文16年)の美濃・稲葉山城攻め(加納口の戦い)で織田信秀が亡くなるとその子・織田信清(おだのぶきよ)が城主になるが、織田信長に反抗したことから攻められて逃亡し、織田信長の家臣で、乳兄弟・池田恒興(いけだつねおき)が入城しました。1582年(天正10年)の本能寺の変後に織田信長の次男・織田信雄(おだのぶかつ)が有したが、1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いで関白・豊臣秀吉が入城し、その後織田信雄に返還され、織田信雄が改易されると関白・豊臣秀次の領地になりました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後の1601年(慶長6年)に小笠原吉次(おがさわらよしつぐ)が城主になり、1607年(慶長12年)に平岩親吉(ひらいわちかよし)が城主になり、1617年(元和3年)に尾張徳川家の重臣・成瀬正成(なるせまさなり)が城主になって、1620年(元和6年)には天守を大改修しました。1871年(明治4年)に廃城になって天守を除いた櫓・城門などが取り壊されました。1891年(明治24年)の濃尾地震で天守の東南角の付櫓が壊れ、1895年(明治28年) に旧犬山藩主・成瀬正肥(なるせまさみつ)に修復を条件として無償譲渡され、成瀬家と犬山町民が義援金を募って修復しました。1959年(昭和34年)の伊勢湾台風でも大きな被害を受けたが、1961年(昭和36年)から解体修理が始まり、1965年(昭和40年)に完了しました。2004年(平成16年)に成瀬家当主の個人所有から犬山城白帝文庫に移管されました。なお犬山城は天守が国宝に指定され、犬山城跡が国の史跡に指定され、日本100名城(43番)にも選定されています。
*参考・・・犬山城(アクセス・歴史・・・)ホームページ

【犬山城 見どころ・文化財】
犬山城の見どころは犬山城の桜です。犬山城の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。桜のビュースポットは天守閣です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【犬山城 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0568-61-1711(犬山城管理事務所)

【犬山城 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
愛知桜名所・愛知桜見ごろ

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