石部桜(桜見ごろ4月中旬頃~)福島桜名所
石部桜
石部桜(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。石部桜は福島の桜名所です。石部桜の桜見ごろは例年4月中旬頃~4月下旬頃です。石部桜は推定年齢650年とも言われるエドヒガン(江戸彼岸)です。石部桜は樹高約11メートルで、10本の幹全体の枝張は約20メートルに及びます。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)
【石部桜 アクセスマップ】
場所・・・福島県会津若松市一箕町八幡石部
【石部桜 アクセス・交通】
*JR会津若松駅からまちなか周遊バス・あかべえの場合、飯盛山下バス停(徒歩約15分)
*磐越道会津若松IC(車約10分)
【石部桜 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【石部桜 時間(要確認)】
自由
【石部桜 料金(要確認)】
無料
【石部桜 歴史・簡単概要】
石部桜(いしべざくら)は福島県会津若松市一箕町八幡石部にあります。石部桜は中世に会津の領主だった葦名氏(あしなし)の重臣・石部治部大輔(いしべじぶだゆう)の庭に植えられていた遺愛の桜とも言い伝えられ、名称の由来になっています。蘆名氏は平安時代末期の相模国の武将・三浦義明(みうらよしあき)の七男・佐原義連(さわらよしつら)を初代とし、佐原義連の子・佐原盛連(さはらもりつら)の四男・蘆名光盛(あしなみつもり)が葦名氏と称するようになったとも言われ、室町時代に自ら会津守護と称し、戦国時代の蘆名氏第16代当主・蘆名盛氏(あしなもりうじ)の時代に奥州で伊達氏と並び称されました。石部桜は推定年齢650年とも言われるエドヒガン(江戸彼岸)です。江戸時代前期の1666年(寛文6年)に編集された「会津風土記」に名木とし記され、会津五桜(あいづござくら)の中で最も古木です。会津五桜は石部桜と薄墨桜(うすずみざくら)・虎の尾桜(とらのおざくら)・杉の糸桜(すぎのいとざくら)・大鹿桜(おおしかざくら)です。石部桜は樹高約11メートルで、10本の幹全体の枝張は約20メートルに及びます。石部桜は見渡す限りの田園の中にぽつりと立っていることから満開時には素晴らしい景観が広がります。ちなみに石部桜は女優・綾瀬はるか(あやせはるか)が主演を務めた大河ドラマ「八重の桜(やえのさくら)」のオープニングに使われました。なお石部桜は会津若松市指定文化財になっています。
会津若松市(あいづわかまつし)は福島県西部に位置しています。会津若松市は郡山市・喜多方市・猪苗代町・磐梯町・会津坂下町・湯川村・天栄村・下郷町・会津美里町に接しています。会津若松市は奥羽山脈(おううさんみゃく)と越後山脈(えちごさんみゃく)の間にある会津盆地(あいづぼんち)に位置し、猪苗代湖(いなわしろこ)西岸から会津盆地南部を占め、阿賀川(あががわ・大川)・日橋川(にっぱしがわ・堂島川)・湯川・溷川(せせなぎがわ・不動川)・古川などが流れています。会津若松市は盆地に位置し、一年の気温差が大きく、夏は暑く、冬は寒い地域です。また一日の温度差も激しい地域です。会津若松市には会津大塚山古墳(あいづおおつかやまこふん)があり、古くから人が住んでいたとも言われています。会津若松市は南北朝時代に蘆名直盛(あしななおもり)が黒川城(若松城)を築城し、その後蘆名氏の拠点になると当時奥州最大の都市に発展しました。安土桃山時代に蒲生氏郷(がもううじさと)が鶴ヶ城と改称し、城郭と町割を完成されました。その後上杉氏・会津藩松平氏の城下町として発展したが、幕末の会津戦争で城郭などが破壊されました。しかし会津若松市には今も城下町の面影が残されています。会津若松市は会津地方の商業・交通・行政・教育の中心地です。
*参考・・・石部桜(アクセス・歴史・・・)
【石部桜 見どころ・文化財】
石部桜の見どころは石部桜の桜です。石部桜の桜見ごろは例年4月中旬頃~4月下旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【石部桜 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0242-39-1251(会津若松市役所観光商工部観光課)
【石部桜 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●福島桜名所・福島桜見ごろ