慈眼寺(桜見ごろ3月下旬頃~)群馬桜名所

慈眼寺

慈眼寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。慈眼寺は群馬の桜名所です。慈眼寺の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。慈眼寺には樹齢650年の慈眼寺のしだれ桜・樹齢250年超の少将桜など彼岸桜(ヒガンザクラ)系のしだれ桜が約50本植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)

【慈眼寺 アクセスマップ】
場所・・・群馬県高崎市下滝町19

【慈眼寺 アクセス・交通】
*JR高崎駅から群馬中央バス・伊勢崎行きまたは玉村行きの場合、慈眼寺裏バス停(徒歩約2分)

【慈眼寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【慈眼寺 時間(要確認)】
日の出~日没

【慈眼寺 料金(要確認)】
無料

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【慈眼寺 歴史・簡単概要】
慈眼寺(じげんじ)は群馬県高崎市下滝町にあります。慈眼寺は今から1,250年前、奈良時代前期の第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)の時代(724年(神亀元年)~749年(天平勝宝元年))に良弁僧正(ろうべんそうじょう)が創建したとも言われています。良弁僧正は728年(神亀5年)に聖武天皇の皇子・基王(もといおう)が亡くなって菩提(ぼだい)を弔う東大寺の前身・金鍾山寺(きんしょうさんじ)が建立されると住持し、その後盧舎那仏(るしゃなぶつ)が造立され、東大寺が創建されると東大寺開山になりました。南北朝時代(1337年(延元元年・建武3年)~1392年(元中9年・明徳3年))末期に中興され、乗弘大徳(じょうこうだいとく)が「本尊・聖観音(しょうかんのん)の慈悲を里人に」との願いを込め、慈眼寺のしだれ桜が植えられました。江戸時代前期に大老で、上野厩橋藩第4代藩主・酒井忠清(さかいただきよ)が慈眼寺に立ち寄って、しだれ桜に魅了されて城内に移植したが、花が咲かずに弱るばかりで、夢枕に桜の精が現れて涙ながらに訴えたことから慈眼寺に戻され、桜は生命力を取り戻しました。しだれ桜は樹齢250年超で、その逸話から少将桜・夜泣き桜とも言われています。慈眼寺には松尾芭蕉(まつおばしょう)の句碑なども建立されています。なお慈眼寺は高野山(こうやさん)真言宗(しんごんしゅう)の寺院です。
高崎市(たかさきし)は群馬県中南部に位置しています。高崎市は群馬県の前橋市・藤岡市・安中市・渋川市・富岡市・榛東村・玉村町・東吾妻町・長野原町・甘楽町、埼玉県の上里町、長野県の軽井沢町に接しています。高崎市は関東平野北西部に位置し、いずれも一級河川である利根川・烏川・碓氷川が流れています。高崎市は海岸から100キロ以上離れた内陸部に位置するが、中心市街地の標高は100メートル弱と低く、上毛三山である標高約1,827メートルの赤城山・標高約1,449メートルの榛名山・標高約1,103メートルの妙義山を望むことができます。高崎市は冬場に西北西の乾燥した季節風・からっ風が吹くことで知られています。高崎市は古来から地理的条件によって交通の要所で、江戸時代に中山道の重要な宿場・高崎宿が置かれて宿場町として栄え、「お江戸見たけりゃ高崎田町」とも称されました。ちなみに高崎市は現在も中山道(国道17号・国道18号)と三国街道(群馬県道25号高崎渋川線)の分岐点・関越自動車道と北関東自動車道の分岐点・上越新幹線と北陸新幹線の分岐点になっています。また高崎市は1598年(慶長3年)に上野国高崎藩初代藩主・井伊直政が高崎城を築城するとその城下町としても発展しました。高崎市は日本一のだるまの産地で、国道18号沿いにだるまの生産工場が集中しています。
*参考・・・慈眼寺(アクセス・歴史・・・)

【慈眼寺 見どころ・文化財】
慈眼寺の見どころは慈眼寺の桜です。慈眼寺の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【慈眼寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・027-352-8365(慈眼寺)

【慈眼寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
群馬桜名所・群馬桜見ごろ

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