慈眼寺のしだれ桜(桜見ごろ3月下旬頃~)埼玉桜名所

慈眼寺のしだれ桜

慈眼寺のしだれ桜

慈眼寺のしだれ桜(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。慈眼寺のしだれ桜は埼玉の桜名所です。慈眼寺のしだれ桜の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。慈眼寺のしだれ桜は樹齢260年以上とも言われる坂戸市の天然記念物です。慈眼寺ではしだれ桜が見ごろを迎える時期にしだれ桜まつり・しだれ桜のライトアップが行われます。(要確認)

【慈眼寺のしだれ桜 アクセスマップ】
場所・・・埼玉県坂戸市中小坂285

【慈眼寺のしだれ桜 アクセス・交通】
*東武東上線若葉駅から東武バス・東坂戸団地行きの場合、東坂戸団地バス停(徒歩約10分)
*東武東上線若葉駅から東武バス・川越駅行きの場合、川越堺バス停(徒歩約2分)
*東武東上線川越駅から東武バス・若葉駅行きの場合、川越堺バス停(徒歩約2分)

*首都圏中央連絡自動車道坂戸IC(車約5分)または関越自動車道 鶴ヶ島IC(車約20分)

【慈眼寺のしだれ桜 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【慈眼寺のしだれ桜 時間(要確認)】
自由

【慈眼寺のしだれ桜 料金(要確認)】
無料

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【慈眼寺のしだれ桜 歴史・簡単概要】
慈眼寺のしだれ桜(じげんじのしだれざくら)は埼玉県坂戸市中小坂にあります。慈眼寺のしだれ桜は樹齢260年以上の江戸彼岸(えどひがん)の枝垂桜で、高さ約15メートル・幹周約1.7メートルです。ちなみに慈眼寺は真言宗(しんごしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が創建したとも言われています。その後度々火災に見舞われ、文献などを焼失しました。安土桃山時代の慶長年間(1596年~1615年)に初代・法印可説和尚(ほういんかせつおしょう)が再興したとも言われています。江戸時代中期の1755年(宝暦5年)に第10代・隆章和尚が住職になって堂宇境内などを教化の道場として整備し、その頃にしだれ桜の幼苗が本堂前に植樹されたと言われています。慈眼寺のしだれ桜は1982年(昭和57年)に坂戸市の天然記念物に指定されました。2007年(平成19年)には地元の人達によって慈眼寺のしだれ桜保存会が組織され、その後満開に合わせてチャリティー・コンサートが行われるようになりました。(要確認)なお慈眼寺は十一面観音像を本尊として祀り、不動五大明王像・薬師如来像・阿弥陀如来・聖観音・勢至菩薩・愛染明王・釈迦如来・普賢菩薩・文殊菩薩などの仏像を安置しています。また1.5メートルを超える巨大閻魔像も安置しています。
坂戸市(さかどし)は埼玉県中央部に位置しています。坂戸市は川越市・鶴ヶ島市・東松山市・日高市・川島町・鳩山町・毛呂山町に接しています。坂戸市は入間台地(いるまだいち)北部に位置し、北部・東部に黒山三滝(くろやまさんたき)付近を源とする荒川(あらかわ)水系入間川(いるまがわ)の支流で一級河川・越辺川(おっぺがわ)が流れ、西部を苅場坂峠(かばさかとうげ)付近を源とする越辺川の支流で一級河川・高麗川(こまがわ)が流れています。坂戸市には縄文時代の花影遺跡(はなかげいせき)・古墳時代の雷電塚古墳(らいでんづかこふん)、そして条里制の遺溝などがあり、古くから開かれていました。坂戸市は古くからの交通の要地で、鎌倉時代に鎌倉街道、江戸時代に日光脇往還の宿場町・馬継として発達しました。坂戸宿は八王子千人同心が日光勤番に行く際の最初の宿泊地でした。坂戸市は太平洋戦争(第二次世界大戦)中に南部台地上に日本軍の飛行場が設置されました。坂戸市は1960年代以降に東武鉄道東上線によって都心と結ばれて東京のベットタウンになり、飛行場跡などに大規模な住宅団地などが建設されました。坂戸市は急激な人口増加と都市化によって発展しました。坂戸市では稲作や野菜・花卉栽培などの農業も盛んです。
*参考・・・慈眼寺のしだれ桜(アクセス・歴史・・・)

【慈眼寺のしだれ桜 見どころ・文化財】
慈眼寺のしだれ桜の見どころは桜です。慈眼寺のしだれ桜の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【慈眼寺のしだれ桜 連絡先(要確認)】
電話番号・・・049-280-2205(慈眼寺)

【慈眼寺のしだれ桜 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
埼玉桜名所・埼玉桜見ごろ

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