神武山公園(桜見ごろ3月下旬頃~)兵庫桜名所
神武山公園
神武山公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。神武山公園は兵庫の桜名所です。神武山公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月中旬頃です。神武山公園にはソメイヨシノ(染井吉野)など約300本の桜の木が植えられ、ボンボリが灯されます。ただイベントは行われないそうです。(要確認)本丸跡からは市街地を一望することができます。
【神武山公園 アクセスマップ】
場所・・・兵庫県豊岡市京町
【神武山公園 アクセス・交通】
*JR豊岡駅(車約3分)
*北近畿豊岡自動車道但馬空港IC(車約10分)
【神武山公園 アクセス・駐車場】
駐車場なし
【神武山公園 時間(要確認)】
自由
【神武山公園 料金(要確認)】
無料
【神武山公園 歴史・簡単概要】
神武山公園(じんむさんこうえん)は兵庫県豊岡市京町にあります。神武山公園は豊岡城(とよおかじょう)跡を整備した公園です。豊岡城は室町時代に室町幕府の侍所頭人(さむらいどころとうにん)で、応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の西軍の総大将・山名宗全(やまなそうぜん・山名持豊(やまな もちとよ))が此隅山城(このすみやまじょう)の出城として、標高約48メートルの神武山に木崎城(城崎城)を築城したのが始まりです。1580年(天正8年)に織田信長(おだのぶなが)の家臣・豊臣秀吉(とよとみひでよし)による第2次但馬征伐により、宮部継潤(みやべけいじゅん)が城主となって豊岡城を改修し、城下町を整備しました。江戸時代前期に豊岡藩・杉原氏が城主になったが、無子改易となると豊岡城は廃城になりました。1668年(寛文8年)に但馬豊岡藩初代藩主・京極高盛(きょうごくたかもり)が入封し、神武山山麓に豊岡陣屋が建築されて藩政が行われました。1873年(明治5年)に初代・神武天皇遥拝所(ようはいじょ)が設置され、1970年(昭和45年)2月3日に都市計画公園(近隣公園)に指定されました。神武山の名称は神武天皇遥拝所に由来しています。面積約2.7ヘクタールの神武山一帯には豊岡城跡(天守台跡・本丸跡・萩の丸跡・笠の丸跡)・遊歩道・展望台・各種遊具・砂場などが整備されています。
豊岡市(とよおかし)は兵庫県北部(但馬地域)に位置しています。豊岡市は兵庫県の養父市・朝来市・香美町、京都府の京丹後市・福知山市・与謝野町に接しています。豊岡市は但馬地域最大の盆地である豊岡盆地に位置し、一級河川・円山川(まるやまがわ)やその支流である出石川(いずしがわ)・竹野川(たけのがわ)などが流れ、北部を日本海に面しています。豊岡市は日本海側気候に属する豪雪地帯で、冬に雪・夏に雨が多くて晴天の日は少ない地域です。豊岡市は古代に日高に但馬国の国府・国分寺が置かれました。豊岡市は養老年間(717年~724年)に道智上人(どうちしょうにん)が千日の修行を行うと温泉が湧出し、城崎温泉の始まりとなったとも言われています。ちなみに城崎温泉は江戸時代の温泉番付に西の関脇(最高位大関)にランクされ、その後西日本屈指の温泉街に発展しました。豊岡市は安土桃山時代の1580年(天正8年)に関白・豊臣秀吉が但馬を平定すると家臣・宮部継潤(みやべけいじゅん)が豊岡城を亀山に築城するとその城下町になり、江戸時代に豊岡藩の城下町として栄えました。豊岡市は1925年(大正14年)の北但馬地震(きたたじまじしん)で市街地の70パーセントを焼失し、その後区画整理が行われ、太平洋戦争後に兵庫県北部の行政・経済・文化の中心地になりました。
*参考・・・神武山公園(アクセス・歴史・・・)
【神武山公園 見どころ・文化財】
神武山公園の見どころは神武山公園の桜です。神武山公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【神武山公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0796-21-9016(観光文化戦略室)
【神武山公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●兵庫桜名所・兵庫桜見ごろ
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