鏡神社梅苑(梅見ごろ2月中旬~)佐賀梅名所

鏡神社梅苑

鏡神社梅苑(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。鏡神社梅苑は佐賀の梅名所です。鏡神社梅苑の梅見ごろは例年2月中旬頃~3月上旬頃です。鏡神社梅苑は1991年(平成3年)2月に天皇陛下御即位と二ノ宮御鎮座1250年・現御社再建200年を記念して植樹されました。梅苑には紅梅・白梅など約200本の梅の木が植えられています。

【鏡神社梅苑 アクセスマップ】
場所・・・佐賀県唐津市鏡1827

【鏡神社梅苑 アクセス・交通】
*JR筑肥線虹ノ松原駅(徒歩約15分)

*西九州自動車道唐津IC(車約5分)

【鏡神社梅苑 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【鏡神社梅苑 時間(要確認)】
自由

【鏡神社梅苑 料金(要確認)】
無料

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【鏡神社梅苑 歴史・簡単概要】
鏡神社梅苑(かがみじんじゃばいえん)は佐賀県唐津市鏡にあります。鏡神社は一ノ宮が社伝によると200年(仲哀天皇9年)頃に第14代・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の后である神功皇后(じんぐうこうごう) が三韓征伐(さんかんせいばつ)の際、標高約284メートルの鏡山(かがみやま・七面山(しちめんざん))に登り、天神地祇(てんじんちぎ)を祀って戦勝を祈願し、その後山頂から夜な夜な霊光が現れるようになり、三韓征伐から凱旋した神功皇后が鏡を捧げ、「わが生霊は長くこの地を鎮めよう」と言われたのが起源と言われています。神功皇后は身ごもりながら三韓征伐に出兵し、凱旋後に無事に第15代・応神天皇(おうじんてんのう)を出産されたことから武運長久(ぶうんちょうきゅう)・子宝安産の神としても崇められました。二ノ宮は奈良時代前期の740年(天平12年)の藤原広嗣の乱(ふじわらのひろつぐのらん)で藤原広嗣が当地で処刑され、750年(天平勝宝2年)に肥前国司に左遷された吉備真備(きびのまきび)が藤原広嗣を祀って創建しました。鏡神社はかつて松浦宮・松浦廟宮などと言われていたが、真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が鏡神社に社名を改称したと言われています。梅苑は1991年(平成3年)2月に天皇陛下御即位と二ノ宮御鎮座1250年・現御社再建200年を記念して植樹されました。梅苑には紅梅・白梅など約200本の梅の木が植えられています。
唐津市(からつし)は佐賀県北西に位置しています。唐津市は佐賀県北部地域の中心都市で、佐賀県内で佐賀市に次ぐ第2位の人口を有しています。唐津市は佐賀県の佐賀市・伊万里市・多久市・武雄市・玄海町、福岡県の糸島市、長崎県の壱岐市・松浦市に接しています。唐津市は唐津平野と上場(うわば)と言われる玄武岩台地(げんぶがんだいち)に位置し、東側に佐賀県と福岡県の県境である背振山地(せふりさんち)・南側に杵島山地(きしまさんち)があり、北部側を玄界灘(げんかいなだ)の唐津湾・西側を伊万里湾(いまりわん)に面しています。唐津市は沿岸部で一年を通して昼夜の寒暖の差が少なく、猛暑日・真冬日が少ない地域です。唐津市には日本最古の水稲耕作遺跡である菜畑遺跡(なばたけいせき)があり、古くから人が住んでいたとも言われています。唐津市は古来から朝鮮半島・中国大陸との交通の拠点で、安土桃山時代には関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の拠点である名護屋城(なごやじょう)を築城しました。ちなみに唐津焼は朝鮮出兵前から焼かれ、朝鮮出兵によって朝鮮半島から陶工が渡来して盛んになったとも言われています。唐津市ではユネスコ無形文化遺産に登録されている唐津くんち(からつくんち)も知られています。
*参考・・・鏡神社梅苑(アクセス・歴史・・・)

【鏡神社梅苑 見どころ・文化財】
鏡神社梅苑の見どころは鏡神社梅苑の梅です。鏡神社梅苑の梅見ごろは例年2月中旬頃~3月上旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。

【鏡神社梅苑 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0955-77-3151(鏡神社)

【鏡神社梅苑 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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