亀居公園(桜見ごろ3月下旬頃~)広島桜名所
亀居公園
亀居公園・亀居城跡(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。亀居公園は広島の桜名所です。亀居公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。亀居公園にはソメイヨシノ(染井吉野)など約300本の桜の木が植えられ、亀居城まつりが行われています。(要確認)亀居公園は標高約80メートルの高台にあり、本丸跡からは瀬戸内海を望むことができます。
【亀居公園・亀居城跡 アクセスマップ】
場所・・・広島県大竹市小方2
【亀居公園・亀居城跡 アクセス・交通】
*JR玖波駅からコイこいバスの場合、おがたピアバス停(徒歩約15分)
*山陽自動車道大竹IC(車約約3分)
【亀居公園・亀居城跡 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【亀居公園・亀居城跡 時間(要確認)】
自由
【亀居公園・亀居城跡 料金(要確認)】
無料
【亀居公園・亀居城跡 歴史・簡単概要】
亀居公園(かめいこうえん)は広島県大竹市小方にあります。亀居公園は亀居城跡を整備した公園です。亀居城は1608年(慶長13年)に安芸広島藩主・福島正則(ふくしままさのり)が広島城の支城として標高約80メートルの高台に築城しました。福島正則は1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)後、安芸国に移封されて広島城に入り、1603年(慶長8年)に山陽道を押さえる為に亀居城の築城を開始し、1608年(慶長13年)に完成しました。城主には福島正則の甥・福島正宣(ふくしままさのぶ)がなる予定だったが、前年の1607年(慶長12年)に死去し、山田小右衛門・森佐助が城代になりました。しかし徳川家・江戸幕府と豊臣家の対立から徳川家・江戸幕府の圧力によって亀居城は破却され、天守などの主要な建造物が撤去されて荒廃しました。1909年(明治42年)に1,000本の桜の木が植えられ、1977年(昭和52年)に発掘調査が行われ、その後徐々に城郭公園として整備されました。亀居公園には大竹市出身の作詞家・石本美由起(いしもとみゆき)の作詞家生活40周年を記念し、「柿の木坂の家」・「矢切の渡し」・「悲しい酒」・「長良川艶歌」・「ああ征長隊」・「憧れのハワイ航路」・「亀居城春秋」の7つの歌碑と1つの記念碑による長さ約380メートルの遊歩道・詩の坂道が整備されました。亀居公園には二の丸跡の舞台などもあります。
大竹市(おおたけし)は広島県南西部に位置しています。大竹市は広島県の廿日市市、山口県の岩国市・和木町に接しています。大竹市は広島湾西岸に位置し、北西部に兵庫県北西部から山口県まで続く中国山地(ちゅうごくさんち)があり、南部を廿日市市北西部にある標高約1,031メートルの鬼ヶ城山(おにがじょうやま)を源とする小瀬川(おぜがわ)が流れ、東部を瀬戸内海に面し、海上に宮島を望んでいます。大竹市には東隣の廿日市市西部に飛び地があります。大竹市は瀬戸内式気候だが、比較的雨が多い地域です。大竹市は古代山陽道の要路として遠管駅(おがえき)が置かれました。大竹市は中世に厳島神(いつくしまじんじゃ)の社領や毛利家の領地になり、江戸時代に安芸広島藩主・福島正則(ふくしままさのり)が広島城の支城として標高約80メートルの高台に亀居城(かめいじょう)を築城しました。福島家の改易後に浅野家が安芸広島藩主になり、家老・上田家の知行所になりました。大竹市は江戸時代に背後の傾斜地で産するコウゾ・ミツマタを使った和紙の製造が発達し、山陽道の渡船集落として発展しました。大竹市では現在も障子紙・温床紙・傘紙を製造する家内工業や製紙・パルプ工業が行なわれています。大竹市は太平洋戦争後に石油化学コンビナートが造られ、隣接の岩国市とともに臨海工業地帯を形成して急速に発展しました。
*参考・・・亀居公園・亀居城跡(アクセス・歴史・・・)
【亀居公園・亀居城跡 見どころ・文化財】
亀居公園の見どころは亀居公園の桜です。亀居公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【亀居公園・亀居城跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0827-59-2131(大竹市役所産業振興課商工振興係)
【亀居公園・亀居城跡 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●広島桜名所・広島桜見ごろ
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