金崎宮(桜見ごろ4月上旬頃)福井桜名所

金崎宮

金崎宮

金崎宮(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。金崎宮は福井の桜名所です。金崎宮の桜見ごろは例年4月上旬頃です。金崎宮にはソメイヨシノ(染井吉野)など約1,000本の桜の木が植えられ、花換まつりが行われたり、ぼんぼりが灯されたりします。(要確認)花換まつりは「花換えましょう」と声を掛け合い、桜の小枝を交換して恋心を伝えたそうです。

【金崎宮 アクセスマップ】
場所・・・福井県敦賀市金ケ崎町1-4

【金崎宮 アクセス・交通】
*JR敦賀駅からコミュニティバス(海岸線)の場合、金崎宮口バス停(徒歩約7分)
*JR敦賀駅からぐるっと敦賀周遊バスの場合、金崎宮バス停(徒歩約5分)

*北陸道敦賀IC(車約10分)

【金崎宮 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【金崎宮 時間(要確認)】
自由

【金崎宮 料金(要確認)】
無料

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【金崎宮 歴史・簡単概要】
金崎宮(かねがさきぐう)は福井県敦賀市にあります。金崎宮は1890年(明治23年)9月に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇の皇子・尊良親王(たかながしんのう)を祀る官幣中社・金崎宮を金ヶ崎城址(かねがさきじょうあと)に創建したの起源です。その後1892年(明治25年)11月に第96代・後醍醐天皇の皇太子・恒良親王(つねながしんのう)が合祀されました。南北朝時代の1336年(延元元年・建武3年)5月に第96代・後醍醐天皇は室町幕府初代将軍・足利尊氏が九州で再挙して京都に攻め入ると比叡山(ひえいざん)に逃れ、同年10月に足利尊氏の請を受け入れて京都に戻ったが、新田義貞(にったよしさだ)に官軍再興を命じ、尊良親王・恒良親王を奉じて越前国一宮・氣比神宮(けひじんぐう)の大宮司・氣比氏治(けひ うじはる)の居城・金ヶ崎城(福井県敦賀市)に入りました。その後足利尊氏は高師泰(こうのもろやす)を総大将として金ヶ崎城を攻撃し、1337年(延元2年・建武4年)3月6日に兵糧攻めなどで落城して、尊良親王や新田義貞の嫡子・新田義顕(にったよしあき)などが亡くなりました。尊良親王は27歳、新田義顕は18歳だった言われています。恒良親王は氣比氏治の子・氣比斎晴(けひなりはる)によって脱出するが、その後捕らえられて京都で幽閉され、1338年(延元3年)4月13日に毒薬を盛られて亡くなったとも言われています。恒良親王は15歳だった言われています。1903年(明治36年)3月の町内での火災によって本殿などが焼失し、1906年(明治39年)に現在の場所に本殿が再建され、流造から神明造に改められました。1982年(昭和57年)に本殿などが修築され、桧皮葺の本殿と瓦葺の拝殿が銅版葺に改められました。なお「花換えましょう」と声を掛け合い、桜の小枝を交換して恋心を伝えたとも言われる花換まつりは明治40年代(1907年(明治40年)~1912年(明治45年))に始まったとも言われています。
*参考・・・金崎宮(アクセス・歴史・・・)

【金崎宮 見どころ・文化財】
金崎宮の見どころは金崎宮の桜です。金崎宮の桜見ごろは例年4月上旬頃です。桜のビュースポットは社務所前広場です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【金崎宮 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0770-22-8167(敦賀観光協会)

【金崎宮 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
福井桜名所・福井桜見ごろ

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