観瀾亭・松島(紅葉見ごろ10月下旬頃~)宮城紅葉名所
観瀾亭・松島
観瀾亭・松島(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。観瀾亭は宮城の紅葉名所です。観瀾亭の紅葉見ごろは例年10月下旬頃~11月上旬頃です。観瀾亭では紅葉が見ごろを迎える時期に松島紅葉ライトアップが行われています。(要確認)観瀾亭では紅葉などを眺めながら抹茶(まっちゃ)とお菓子の抹茶セットを味わうことができます。(要確認)
【観瀾亭・松島 アクセスマップ】
場所・・・宮城県宮城郡松島町松島字町内56
【観瀾亭・松島 アクセス・交通】
*JR松島海岸駅(徒歩約6分)
*三陸自動車道松島海岸IC(車約5分)
【観瀾亭・松島 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【観瀾亭・松島 時間(要確認)】
8:30~17:00
【観瀾亭・松島 料金(要確認)】
個人
大人200円、大学生・高校生150円、中学生・小学生100円
団体(30名以上)
大人150円、大学生・高校生100円、中学生・小学生80円
【観瀾亭・松島 歴史・簡単概要】
観瀾亭(かんらんてい)は宮城県宮城郡松島町松島にあります。観瀾亭は文禄年間(1593年~1596年)に仙台藩初代藩主で、伊達氏第17代当主・伊達政宗(だてまさむね)が関白・豊臣秀吉から賜って移した伏見城(ふしみじょう)の茶室とも言われています。ちなみに豊臣秀吉は1592年(文禄元年)に指月伏見城の築城を開始し、1596年(文禄5年)に完成したが、直後の慶長伏見地震(けいちょうふしみじしん)で倒壊し、場所を木幡山に移して木幡山伏見城の築城を開始し、1597年(慶長2年)に完成しました。観瀾亭は先ず江戸(東京)の仙台藩藩邸に移され、仙台藩第2代藩主・伊達忠宗(だてただむね)が1本1石も変えぬようにと命じ、海路で松島に移されたとも言われています。観瀾亭は当初藩主の納涼・観月の亭として使われ、月見御殿とも言われていたが、仙台藩第5代藩主・伊達吉村(だてよしむら)が「観瀾亭」と命名しました。観瀾の名称にはさざ波を観るという意味があるそうです。観瀾亭は藩主・姫君などの松島遊覧や幕府巡見使などの宿泊・接待用の施設・御仮屋として利用され、随行する武士の部屋・台所・馬屋など11棟あまりの建物があったそうです。観瀾亭にはイロハモミジなどが植えられています。なお観瀾亭は宮城県の有形文化財に指定され、床の間の張付絵や襖絵は国の重要文化財に指定されています。
松島町(まつしままち)は宮城県中東部に位置しています。松島町は七ヶ浜町(しちがはままち)・利府町(りふちょう)とともに宮城郡(みやぎぐん)を構成し、東松島市・大崎市・利府町・美里町・大郷町に接しています。松島町は日本最長の山脈である奥羽山脈(おううさんみゃく)から太平洋に至る舌状台地・松島丘陵東部に位置し、南側を広島県廿日市市の安芸の宮島(厳島(いつくしま))・京都府宮津市の天橋立(あまのはしだて)とともに日本三景に数えられる松島の浮かぶ松島湾に面し、江戸時代に品井沼(しないぬま)干拓の為に造られた人工河川・高城川(たかぎがわ)が南流しています。ちなみに松島は国の特別名勝で、日本の白砂青松100選・新日本観光地100選・世界で最も美しい湾クラブなどにも選ばれています。松島町では江戸時代に高城川河口の高城が浜街道の宿場町や塩田で栄えました。松島町は現在松島観光の拠点となって観光業が盛んです。また松島町では松島湾内でカキ・ノリの養殖も行なわれています。
*参考・・・観瀾亭・松島(アクセス・歴史・・・)
【観瀾亭・松島 見どころ・文化財】
観瀾亭の見どころは観瀾亭の紅葉です。観瀾亭の紅葉は例年10月中旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年10月下旬頃~11月上旬頃です。紅葉の見ごろにイロハモミジなどが色付きます。紅葉のビュースポットは邸内です。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。
【観瀾亭・松島 連絡先(要確認)】
電話番号・・・022-354-5708(松島町産業観光課)
【観瀾亭・松島 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●宮城紅葉名所・宮城紅葉見ごろ
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