鹿島神宮節分祭2/3(日程・時間・・・)
節分祭2018は2018年2月3日に行われます。節分祭2018では先ず一陽来復(いちようらいふく)と除災招福を祈る祭典・追儺神事(ついなしんじ)が行われ、その後豆撒きが行われます。豆撒きでは裃姿の年男・年女や特別ゲストが本殿前に設置された特設舞台からお福分け当たりくじ付福豆・餅・菓子を「福は内」の掛け声とともに撒きます。
【節分祭2018 日程・時間(要確認)】
節分祭2018は2018年(平成30年)2月3日(土曜日)に行われます。
【節分祭2018・鹿島神宮 アクセス・マップ】
場所・・・茨城県鹿嶋市宮中 2306-1
*JR鹿島線・鹿島神宮駅(徒歩約10分)
【節分祭2018 概要】
節分祭2018では先ず一陽来復(いちようらいふく)と除災招福を祈る祭典・追儺神事(ついなしんじ)が行われ、その後豆撒きが行われます。豆撒きでは裃姿の年男・年女や特別ゲストが本殿前に設置された特設舞台からお福分け当たりくじ付福豆・餅・菓子を「福は内」の掛け声とともに撒きます。なお節分祭では約550キロの豆が撒かれるそうです。
豆撒き・・・15:00~・18:00~
参加者・・・相川七瀬(歌手)・永作博美(女優)・鹿島アントラーズ関係者(黒崎久志氏・本田泰人・名良橋晃)
*参考・・・節分祭2018スケジュール
【節分祭 歴史・簡単概要】
節分祭(せつぶんさい)は節分に行われます。節分は元々は季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を差していたが、江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなりました。節分には邪気悪霊(鬼)が外から入ってくるのを防ぐ為、「鬼は外・福は内」と言いながら福豆を撒き、年の数だけ福豆を食べて厄除けをします。豆撒きは平安時代中期の第59代・宇多天皇(867年~931年)の時代に鞍馬山の鬼が都を荒らしたことから毘沙門天のお告げにより、鬼の穴を祈祷で封じ、鬼の目を炒り豆で打ちつぶしたということに由来しているそうです。なお豆などの穀物には魔除けの呪力や生命力を持つという穀霊が宿っているとも言われています。ちなみに豆は鬼の目を表す「魔目(まめ)」から鬼を滅する「魔滅」を意味するようになったそうです。
鬼は目に見えない邪気を表す陰(おん)に由来するとも、姿が見えずに怖いものを表す隠(おぬ)に由来するとも言われています。その為人智を超え、人に危害を与える災害・疾病・飢饉などは鬼の仕業と考えられました。
*参考・・・節分祭・節分祭wikipedia
【鹿島神宮 歴史・簡単概要】
節分祭が行われる鹿島神宮(かしまじんぐう)・鹿嶋神宮は起源が明確ではありません。鹿島神宮は紀元前660年(神武天皇元年)に創建されたとも言われています。初代・神武天皇は東征中に思わぬ窮地に陥ったが、祭神・武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)のふつの霊剣(ふつのみたまのつるぎ・布都御魂剣)の神威によって救われ、即位した紀元前660年(神武天皇元年)にその神恩に感謝して武甕槌大神を勅祭したとも言われています。その後東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、奈良時代・平安時代には国の守護神として篤く崇敬され、奉幣使が頻繁に派遣されたり、20年に一度社殿を建て替える造営遷宮も行われたりしました。「延喜式神名帳(927年(延長5年))」では「鹿島神宮 名神大 月次新嘗」と記され、名神大社に列しました。鎌倉時代に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝、江戸時代には江戸幕府初代将軍・徳川家康から武将として崇敬され、1605年(慶長10年)に徳川家康が奥宮(重要文化財)、1619年(元和5年)に2代将軍・徳川秀忠が現在の社殿(重要文化財)、1634年(寛永11年)には常陸水戸藩初代藩主・徳川頼房が楼門(重要文化財)などを造営しました。なお鹿島神宮は武甕槌大神を祀っています。鹿島神宮は千葉香取の香取神宮(かとりじんぐう)・茨城神栖の息栖神社(いきすじんじゃ)とともに東国三社に数えられました。
*参考・・・鹿島神宮・節分祭・鹿島神宮・節分祭wikipedia
【節分祭2018 備考】
*イベント・お祭りなどの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者のサイトなどで確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。