桂公園(桜見ごろ4月上旬頃~)広島桜名所
桂公園
桂公園・桜尾城址(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。桂公園は広島の桜名所です。桂公園の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。桂公園にはソメイヨシノ(染井吉野)など約120本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)桜の木の中には樹齢が半世紀近い木も数多く残っています。
【桂公園・桜尾城址 アクセスマップ】
場所・・・広島県廿日市市桜尾本町11
【桂公園・桜尾城址 アクセス・交通】
*広電山陽女子大前駅(徒歩約13分)
*JR廿日市駅(徒歩約20分)
*広島岩国道路廿日市IC(車約15分)
【桂公園・桜尾城址 アクセス・駐車場】
駐車場なし
【桂公園・桜尾城址 時間(要確認)】
自由
【桂公園・桜尾城址 料金(要確認)】
無料
【桂公園・桜尾城址 歴史・簡単概要】
桂公園(かつらこうえん)は広島県廿日市市桜尾本町にあります。桂公園は桜尾城(さくらおじょう)址の小高い丘の上に整備された廿日市市で最も古い公園です。桜尾城は鎌倉幕府十三人の合議制の一人である中原親能(なかはらのちかよし)の一族で、1221年(承久3年)の承久の乱(じょうきゅうのらん)によって厳島神社(いつくしまじんじゃ・嚴島神社)の神主になった藤原親実(ふじわらのちかざね)が築城しました。戦国時代(室町時代後期)に毛利氏第12代当主・毛利元就(もうりもとなり)の支配下に入り、毛利氏の家臣・桂元澄(かつらもとずみ)が城主になりました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後に安芸広島藩主・福島正則(ふくしままさのり)の領地となったが、桜尾城は在価値を失って廃城になりました。1912年(大正元年)に桜尾城城主・桂元澄の子孫で、長州藩藩士だった公爵(第11代・第13代・第15代内閣総理大臣)・桂太郎(かつらたろう)が日本の武士(長州藩士)が桜尾城址を保存する為に廿日市町に寄贈しました。桂公園は(大正2年)5月8日に開園しました。桂公園の名称は桂元澄・桂太郎に由来しています。桂公園は昭和40年代に丘陵地を切断して都市公園として再整備されました。桂公園にはソメイヨシノ(染井吉野)など約120本の桜の木が植えられています。桜の木の中には樹齢が半世紀近い木も数多く残っています。
廿日市市(はつかいちし) は広島県南西部に位置しています。廿日市市の名称は毎月20日に市(廿日の市)が開かれていたことに由来しています。廿日市市は広島県の広島市・大竹市・江田島市・安芸太田町、山口県の岩国市、島根県の益田市に接しています。廿日市市は市域が南北に長く、北部が中国山地の西縁で、広島県・山口県・島根県にまたがる冠山山地(かんむりやまさんち)に接する山間部が広がり、南部が瀬戸内海に面した沖積平野に広がり、南側を瀬戸内海(広島湾)に面し、海上に宮島(みやじま・厳島(いつくしま))が浮かんでいます。廿日市市は瀬戸内海沿岸部が瀬戸内海式気候に属し、年間を通して温暖・少雨です。ただ吉和地区は日本海側気候に属し、豪雪地帯になっています。廿日市市では593年(推古天皇元年)に厳島神社(いつくしまじんじゃ・嚴島神社)が創建され、平安時代に平家一門の隆盛とともに平家の氏神として栄え、江戸時代に厳島詣が民衆に広まりました。1996年(平成8年)にユネスコの世界文化遺産に登録されました。廿日市市は古くからの市場町で、山陽道の宿駅としても栄え、江戸時代に津和野藩の船手屋敷置かれて津和野街道の起点でもありました。廿日市市は瀬戸内海の広島湾に面していることからカキの養殖が盛んです。またけん玉の発祥地として木工業も盛んです。
*参考・・・桂公園・桜尾城址(アクセス・歴史・・・)
【桂公園・桜尾城址 見どころ・文化財】
桂公園の見どころは桂公園の桜です。桂公園の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【桂公園・桜尾城址 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0829-30-9141(廿日市市観光課)
【桂公園・桜尾城址 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●広島桜名所・広島桜見ごろ
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