川上峡花火大会7/27(日程・時間・・・)

(最新確認中)川上峡花火大会2018は2018年7月27日に行われます。川上峡花火大会2018では九州の嵐山とも言われる景勝地・川上峡を舞台に官人橋下流から川上川に家内安全・商売繁盛などの願いを込めた1,000個以上の灯籠が流され、水中花火・ナイアガラ・仕掛花火など約2,000発の花火が夜空を彩ります。大和太鼓も行われます。

【川上峡花火大会2018 日程時間(要確認)】
川上峡花火大会2018・・・2018年7月27日(金曜日)20:30~21:15(小雨決行・荒天延期7月30日)

【川上峡花火大会2018 会場アクセス・マップ】
場所・・・佐賀県佐賀市・川上峡官人橋下流

*JR佐賀駅バスセンターからバス・古湯北山方面行きの場合、川上橋バス停
●駐車場あり

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【川上峡花火大会2018 概要(種類・規模)】
川上峡花火大会2018では九州の嵐山とも言われる景勝地・川上峡を舞台に官人橋下流から川上川に家内安全・商売繁盛などの願いを込めた1,000個以上の灯籠が流され、水中花火・ナイアガラ・仕掛花火など約2,000発の花火が夜空を彩ります。灯籠流しでは川面が幻想的な光で包まれます。なお川上峡花火大会では大和太鼓・灯籠流しも行われます。
●水中花火・・・台船などから水中に向かって点火した花火を打ち込みます。ちなみに水上にセットした花火を水上で爆発させるのを水上花火と言います。
●ナイアガラの滝・・・焔管(えんかん)を速火線で連結して一列に吊し、点火すると焔管から火の粉が一斉に流れ落ちる仕掛け花火です。長いものでは2,000メートルにもなるものがあるそうです。

有料席・・・なし
*参考・・・川上峡花火大会2018(時間・観覧席・穴場・・・)

【川上峡花火大会 歴史・簡単概要】
川上峡花火大会(かわかみきょうはなびたいかい)は毎年7月に行われ、佐賀市の夏の風物詩とも言われています。川上峡花火大会では花火大会以外にも大和太鼓・灯籠流しなども行われています。ちなみに川上峡は嘉瀬川水系の本流で一級河川・嘉瀬川(かせがわ)の清流がとうとうと流れ、京都嵐山を彷彿とさせる景観から九州の嵐山とも言われています。なお川上峡花火大会は大和町観光事業実行委員会が主催して行われています。
*参考・・・川上峡花火大会

【佐賀市 歴史・簡単概要】
川上峡花火大会が行われる佐賀市(さがし)は佐賀県東部に位置しています。佐賀市は佐賀県の県庁所在地で、佐賀県内で最大の人口を擁しています。佐賀市は佐賀県の小城市・唐津市・多久市・神埼市・白石町、福岡県の福岡市・柳川市・大川市・糸島市に接しています。佐賀市は九州最大の河川である一級河川・筑後川(ちくごがわ)中流・下流などに広がる九州最大の平野である筑紫平野(つくしへいや)に属する佐賀平野のほぼ中央に位置し、北側に筑紫山地の脊振山地(せふりさんち)があり、南側を有明海(ありあけかい)に面し、南東部を筑後川、西部を一級河川・嘉瀬川(かせがわ)が流れています。佐賀市には西隈古墳(にしくまこふん)・銚子塚古墳(ちょうしづかこふん)などがあり、古くから開けていたとも言われています。佐賀市は律令時代に肥前国の国府が置かれ、鎌倉時代に龍造寺氏(りゅうぞうじし)の居城があり、戦国時代には龍造寺氏が鍋島氏・石井氏・高木氏・於保氏(おぼし)・八戸氏などを統合して戦国大名になり、城下町の基礎を築きました。江戸時代初期の1608年(慶長13年)に龍造寺氏の本家が断絶し、龍造寺氏の重臣だった肥前佐賀藩藩祖・鍋島直茂(なべしまなおしげ)が藩主になり、佐賀城が鍋島氏の居城になると水運と農業中心の小さな町が城下町として発展しました。佐賀市は明治維新後の廃藩置県まで鍋島氏の城下町だったが、1874年(明治7年)の佐賀の乱によって佐賀城は焼失し、ただ城下町の町並みや武家屋敷などが随所に残されています。佐賀藩は日本初の洋式反射炉を完成させて大砲鋳造を行ったが、佐賀市は昭和以降は工業の近代化に遅れたと言われています。佐賀市は有明海沿岸が中世以来の干拓地で、のりの養殖が盛んに行われています。また平野部では稲作やイチゴ・アスパラガス・ホウレンソウなどの栽培も盛んに行われています。なお佐賀市は1889年(明治22年)に市制が施行されました。
*参考・・・佐賀市・川上峡花火大会佐賀市・川上峡花火大会wikipedia

【川上峡花火大会2018 備考・注意事項】
*花火・イベントなどの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者のサイトなどで確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。

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