亀城公園(桜見ごろ3月下旬頃~)茨城桜名所
亀城公園・土浦城址
亀城公園・土浦城址(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。亀城公園は茨城の桜名所です。亀城公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。亀城公園にはソメイヨシノ(染井吉野)など約50本の桜の木が植えられ、土浦桜まつり・ライトアップが行われています。(要確認)芝生広場などもあります。
【亀城公園・土浦城址 アクセスマップ】
場所・・・茨城県土浦市中央1-13
【亀城公園・土浦城址 アクセス・交通】
*JR土浦駅(徒歩約15分)
*常磐自動車道桜土浦IC(車約15分)
【亀城公園・土浦城址 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【亀城公園・土浦城址 時間(要確認)】
自由
【亀城公園・土浦城址 料金(要確認)】
無料
【亀城公園・土浦城址 歴史・簡単概要】
亀城公園(きじょうこうえん)・土浦城址(つちうらじょうし)は茨城県土浦市中央にあります。亀城公園は土浦城址の本丸と二の丸の一部を整備した公園です。土浦城には平安時代中期の天慶年間(938年~947年)に平将門(たいらのまさかど)が砦を築いたという伝説が残されています。また土浦城は室町時代中期の永享年間(1429年~1441年)に常陸守護・八田知家(はったともいえ)の後裔で、豪族・小田氏に属する若泉(今泉)三郎が築城したのが起源とも言われています。その後菅谷氏・小田氏などが城主になり、関東に入府した江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が次男・結城秀康(ゆうきひでやす)に与えたが、結城秀康が越前国北ノ庄に移るとその後松平氏・西尾氏・朽木氏・土屋氏などが城主になり、土浦城も改修されました。土浦城は江戸時代に本丸が何重もの掘り割りの中にあり、水に浮かぶ亀の姿に似ていたことから「亀城」とも言われていました。1873年(明治6年)に太政官符令第84号によって土浦城は廃止され、本丸御殿は新治県の県庁、その後新治郡の郡役所として使用されました。ちなみに本丸の建造物は大部分が残され、二の丸以下の建物は外丸御殿を除いて取り壊され、1884年(明治17年)の火災で本丸御殿が焼失しました。土浦城址には関東地方唯一の櫓門・東櫓・西櫓・土塀などがあります。亀城公園には芝生広場・茨城県の天然記念物に指定されたシイの木などがあります。なお亀城公園は茨城百景に数えられています。また土浦城址は続日本100名城に選ばれています。
土浦市(つちうらし)は茨城県南部(県南地域)に位置しています。土浦市は牛久市・つくば市・かすみがうら市・石岡市・阿見町と接しています。土浦市は茨城県の面積の約35パーセントを占める面積約220平方キロ・周囲長約249.5キロの霞ヶ浦(かすみがうら)西岸に位置し、霞ヶ浦に注ぐ、利根川(とねがわ)水系の一級河川・桜川(さくらがわ)による三角州を中心に北側の新治台地(にいはりだいち)と南側の筑波稲敷台地(つくばいなしき)からなっています。土浦市は古くから人が住み、旧石器時代の遺跡などが残されています。土浦市は江戸時代初期の1662年(寛文2年)に若年寄(わかどしより)で、常陸土浦藩初代藩主・土屋数直(つちやかずなお)が入封すると土屋氏・土浦藩の城下町として発展し、水戸街道(みとかいどう・陸前浜街道(りくぜんはまかいどう))の宿場町や霞ヶ浦水運の港町として栄えました。土浦は常陸国で水戸に次ぐ第2番目の都市になったとも言われています。土浦市は明治維新後に茨城県が発足すると茨城県の県南地域の商業・行政の中心的な役割を担うようになり、土浦には国や県の行政機関が立地しています。なお土浦市では日本三大花火に数えられる土浦全国花火競技大会が行われています。
*参考・・・亀城公園・土浦城址(アクセス・歴史・・・)
【亀城公園・土浦城址 見どころ・文化財】
亀城公園の見どころは亀城公園の桜です。亀城公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【亀城公園・土浦城址 連絡先(要確認)】
電話番号・・・029-824-2810(土浦市観光協会)
【亀城公園・土浦城址 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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