金峯山寺(アクセス・歴史・・・)・世界遺産

金峯山寺
金峯山寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。金峯山寺見どころ・本堂は四方(奥行・幅)約36メートル・高さ約34メートルで、木造の古建築としては東大寺の大仏殿に次ぐ規模とも言われています。本堂は白鳳年間(7世紀後半)に建立され、その後焼失と再建を繰り返し、現在の本堂は1592年(天正19年)頃に豊臣家の寄進で再建されました。
【金峯山寺 アクセスマップ】
場所・・・奈良県吉野郡吉野町吉野山2498
【金峯山寺 アクセス・交通】
*近鉄吉野線・吉野駅から吉野ロープウェイの場合、吉野山駅(徒歩約10分)
【金峯山寺 アクセス・駐車場】
駐車場なし
【金峯山寺 時間(要確認)】
8:30~16:30 受付16:00終了
年中無休
【金峯山寺 料金(要確認)】
500円
【金峯山寺 歴史・簡単概要】
金峯山寺(きんぷせんじ)は起源が明確ではありません。金峯山寺は白鳳年間(7世紀後半)に修験道の祖である役行者神変大菩薩(えんのぎょうじゃしんぺんだいぼさつ)・役小角(えんのおづの)が吉野山から大峯山山上ケ岳に掛けての金峯山(きんぷせん)での修行中、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得し、その姿を山桜に刻み、山上ケ岳(大峯山寺の本堂)と山麓の吉野山(金峯山寺の蔵王堂)に祭祀したのが起源とも言われています。金峯山寺は吉野山、大峰山寺が大峯山山上ケ岳(約1719.2メートル)にあることから金峯山寺の蔵王堂は山下の蔵王堂、大峰山寺の本堂は山上の蔵王堂とも言われています。金峯山寺と大峰山寺は約20キロほど離れているが、金峯山寺と大峰山寺に分かれるのは近代以降のことだそうです。その後荒廃したが、894年(寛平6年)に弘法大師・空海の孫弟子である理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)が再興し、平安時代には宇多法皇(第59代・宇多天皇)・白河上皇(第72代・白河天皇)や摂関家の藤原氏などが参詣した言われています。1614年(慶長19年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康の命により、天台宗の僧・天海大僧正が金峯山寺の学頭になり、天台宗の門跡寺院・日光輪王寺(りんのうじ)の傘下に置かれました。なお1874年(明治7年)に明治政府によって修験道が禁止され、一時期廃寺になったが、1886年(明治19年)に天台宗末の仏寺として復興し、1948年(昭和23年)には蔵王堂(国宝)を中心に金峯山修験本宗を立宗して総本山になりました。
金峯山寺は2004年(平成16年)に世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(紀伊山地の霊場と参詣道)のひとつに登録されました。
*参考・・・金峯山寺(アクセス・歴史・・・)ホームページ・金峯山寺(アクセス・歴史・・・)wikipedia
【金峯山寺 見どころ・文化財】
金峯山寺の見どころはいずれも国宝である本堂(蔵王堂)・二王門です。
●金峯山寺見どころ・本堂は1592年(天正19年)頃に豊臣家の寄進で再建され、大正時代に解体・修理が行われ、昭和50年代後半に屋根の檜皮の葺き替えなどの大修理が行われました。本堂は本尊・蔵王権現像(秘仏)3体を安置しています。なお本堂は檜皮葺き・入母屋造です。
●金峯山寺見どころ・二王門は1456年(康正2年)に再建されたとも言われています。二王門は1339年(延元4年)に仏師・康成が造仏した金剛力士(仁王)像2体を安置しています。なお二王門は二重門で、本瓦葺き・入母屋造です。
国宝・・・本堂(蔵王堂)、二王門、大和国金峯山経塚出土品
重要文化財・・・銅鳥居、木造蔵王権現立像、木造蔵王権現立像(安禅寺旧本尊)、絹本著色千手千眼観音像、板絵著色廻船入港図額、木造聖徳太子立像、木造童子立像、木造金剛力士立像など
【金峯山寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0746-32-8371
【金峯山寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月