岸和田城(桜見ごろ・アクセス・・・)・大阪桜名所

岸和田城

岸和田城(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。岸和田城は大阪の桜名所です。岸和田城の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。岸和田城にはソメイヨシノ(染井吉野)など約170本の桜の木が植えられ、お城まつり・泉州物産展が行われたり、ぼんぼりが灯されたりします。岸和田城もライトアップされるそうです。(要確認)岸和田のシンボルです。

【岸和田城 アクセスマップ】
場所・・・大阪府岸和田市岸城町9-1

【岸和田城 アクセス・交通】
*南海電鉄南海本線蛸地蔵駅(徒歩約7分)

【岸和田城 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【岸和田城 時間(要確認)】
自由

天守閣
10:00~17:00 受付16:00終了
毎週月曜日(祝日・休日の場合、開場)・年末年始(12月29日~1月3日)は休場

【岸和田城 料金(要確認)】
無料

天守閣
大人300円、中学生以下無料

【岸和田城 歴史・簡単概要】
岸和田城(きしわだじょう)は大阪府岸和田市岸城町にあります。岸和田城は本丸と二の丸を合せた形が機(はた)の縦糸を巻く縢(ちきり)に似ていることから蟄亀利城(ちきりじょう・千亀利城)とも言われています。岸和田城は伝承によると鎌倉幕府滅亡後の建武の新政(けんむのしんせい)の時代(1333年(正慶2年)~1336年(建武3年))に楠木正成(くすのきまさしげ)の一族である和田高家(にぎたたかいえ)が築城し、岸の城とも言われた岸和田古城が始まりとも言われています。その後信濃泰義(しなのやすよし)が現在の場所に移築したとも言われています。1585年(天正13年)に関白・豊臣秀吉が叔父で、和泉岸和田藩初代藩主・小出秀政(こいでひでまさ)を城主とし、小出秀政が城郭を整備して5重の天守閣が造営されました。江戸時代初期に松井松平家初代・松平康重(まつだいらやすしげ)が総構えに改修して城下町を整備したが、1827年(文政10年)に天守閣が落雷によって焼失し、以後天守閣は再建されず、明治維新後の1871年(明治4年)に廃城になって櫓・門など建物が破却されました。1954年(昭和29年)に現在の3層3階の天守閣が建設されました。なお岸和田城は庭園(八陣の庭)が国の名勝、岸和田城跡が大阪府の史跡に指定され、続日本100名城(161番)にも選定されています。
岸和田市(きしわだし)は大阪府南西部(泉南地域)に位置しています。岸和田市は大阪府の和泉市・貝塚市・忠岡町、和歌山県の紀の川市・かつらぎ町に接しています。岸和田市は中央構造線の北縁部にあり、大阪府と和歌山県を隔てる和泉山脈(いずみさんみゃく)北斜面に位置し、北西側を大阪湾に面し、牛滝川・春木川・津田川などが流れています。岸和田市は建武の新政(けんむのしんせい)の時代(1333年(正慶2年)~1336年(建武3年))に楠木正成(くすのきまさしげ)の一族である和田高家(にぎたたかいえ)が岸の城とも言われた岸和田古城(岸和田城)を築城するとその城下町になりました。岸和田市は江戸時代に岸和田藩・岡部氏5万3,000石の城下町として整備され、和泉木綿などの集散地として栄えました。岸和田市は明治時代以降に紡績・織物業が発達して泉州紡織工業地域の一中心地になり、太平洋戦争後に臨海工業埋立地が造成されて大阪鉄工金属団地・木材コンビナートなどが設置されました。
*参考・・・岸和田城(アクセス・歴史・・・)岸和田城(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【岸和田城 見どころ・文化財】
岸和田城の見どころは岸和田城の桜です。岸和田城の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)ちなみに標準木が5~6輪以上咲くと開花宣言が出されます。また地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。なお桜は夏に花芽がつくられ、その後休眠ホルモンによって一旦休眠状態になり、冬の一定期間の厳しい寒さによって休眠打破が起こり、春の気温の上昇によって開花します。

【岸和田城 連絡先(要確認)】
電話番号・・・072-423-9486(岸和田市観光課)

【岸和田城 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2017年(平成29年)4月
大阪桜名所・大阪桜見ごろ

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