北岡自然公園(梅見ごろ2022早め・・・)熊本梅名所

北岡自然公園

北岡自然公園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。北岡自然公園は熊本の梅名所です。北岡自然公園の梅見ごろは例年2月中旬頃~2月下旬頃です。北岡自然公園には園内各所に梅の木が植えられています。北岡自然公園は熊本藩藩主・細川家の菩提寺・妙解寺跡に整備された公園です。なお熊本藩主細川家墓所は国の史跡に指定されています。

【北岡自然公園 アクセスマップ】
場所・・・熊本市中央区横手2-5-1

【北岡自然公園 アクセス・交通】
*JR熊本駅(徒歩約15分)
*市電祇園橋駅(徒歩約10分)

【北岡自然公園 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【北岡自然公園 時間(要確認)】
8:30~17:00(受付16:30終了)
12月29日~12月31日は休園

【北岡自然公園 料金(要確認)】
高校生以上200円、中学生・小学生100円

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【北岡自然公園 歴史・簡単概要】
北岡自然公園(きたおかしぜんこうえん)は熊本市中央区横手にあります。北岡自然公園は熊本藩藩主・細川家の菩提寺・妙解寺(みょうげじ)跡に整備された公園です。妙解寺は1641年(寛永18年)に熊本藩細川家3代で、肥後国熊本藩2代藩主・細川光尚(ほそかわみつなお)が父で、肥後国熊本藩初代藩主・細川忠利(ほそかわただとし)の追善の為に東海寺(東京都品川区)の住職・沢庵和尚を開山として創建しました。妙解寺の寺号は細川忠利の戒名・妙解院に由来しています。細川忠利とその夫人・細川光尚の三つ霊廟(五輪塔墓)が建てられ、細川忠利・細川光尚の殉死者の墓が各15基も建てられています。殉死者の墓には森鴎外(もりおうがい)作の「阿部一族(あべいちぞく)」の主人公・阿部弥一右衛門(あべやいちえもん)の墓もあります。明治維新後の神仏分離・廃仏毀釈によって妙解寺が廃寺になり、その後細川家の北岡別邸として使用されました。1945年(昭和20年)7月3日の空襲によって本邸が焼失し、1955年(昭和30年)11月に熊本市が細川家から譲り受け、その後北岡自然公園として一般公開されました。北岡自然公園は標高約132.2メートルの花岡山(はなおかやま)山麓に位置し、妙解寺の山門・塀・石橋やロックガーデン・枯山水・バラ園などがあります。北岡自然公園は市民の憩いの場として親しまれています。なお熊本藩主細川家墓所は国の史跡に指定されています。
熊本市(くまもとし)は熊本県中部に位置しています。熊本市は熊本県の県庁所在地で、政令指定都市です。熊本市は宇土市・合志市・宇城市・玉名市・菊池市・山鹿市・嘉島町・甲佐町・益城町・御船町・菊陽町・玉東町、海上を隔てて長崎県の島原市に接しています。熊本市は熊本県中北部に広がる熊本平野中部に位置し、東部に阿蘇山麓に続く洪積台地があり、北西部に標高約665メートルの金峰山(きんぼうざん)がそびえ、阿蘇山に属する標高約1,433メートルの根子岳(ねこだけ)を源とする白川(しらかわ)が流れ、西側を有明海に面しています。熊本市は奈良時代に肥後国国府が置かれ、国分寺・国分尼寺も建立されて肥後国の中心になりました。熊本市は室町時代に菊池一族の出田氏が千葉城を茶臼山の東に築城し、その後鹿子木氏が隈本城を築城しました。熊本市は安土桃山時代の1591年(天正19年)から肥後熊本藩初代藩主・加藤清正(かとうきよまさ)が熊本城(銀杏城)の築城を開始し、1606年(慶長11年)に完成すると地名を隈本からが熊本に改めました。熊本市は江戸時代初期に加藤氏が改易され、細川忠利(ほそかわただとし)が入部すると細川藩54万石(肥後54万石)の城下町として発展し、熊本の政治・経済・文化・交通の中心地になりました。
*参考・・・北岡自然公園(アクセス・歴史・・・)

【北岡自然公園 見どころ・文化財】
北岡自然公園の見どころは北岡自然公園の梅です。北岡自然公園の梅見ごろは例年2月中旬頃~2月下旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。

【北岡自然公園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・096-356-8005

【北岡自然公園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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