清澄庭園(桜見ごろ4月中旬頃)東京桜名所

清澄庭園
清澄庭園(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。清澄庭園は東京の桜名所です。清澄庭園の桜見ごろは例年4月中旬頃です。清澄庭園にはソメイヨシノ(染井吉野)・カンヒザクラ(寒緋桜)・オオシマザクラ(大島桜)・サトザクラ(里桜)など11本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)
【清澄庭園 アクセスマップ】
場所・・・東京都江東区清澄3-3-9
【清澄庭園 アクセス・交通】
*都営地下鉄・東京メトロ清澄白河駅(徒歩約3分)
【清澄庭園 アクセス・駐車場】
駐車場なし
【清澄庭園 時間(要確認)】
9:00~17:00 受付16:30終了
年末・年始(12月29日~翌年1月1日)は休園
【清澄庭園 料金(要確認)】
個人
一般150円、65歳以上70円、小学生以下・都内在住在学の中学生無料
団体(20名以上)
一般120円、65歳以上50円
【清澄庭園 歴史・簡単概要】
清澄庭園(きよすみていえん)は東京都江東区清澄にあります。清澄庭園は明治時代の回遊式林泉庭園を整備した面積約37,434.32平方メートル平方メートルの都立庭園です。清澄庭園は元禄年間(1688年~1704年)に紀文(きぶん)・紀文大尽(きぶんだいじん)とも言われた豪商・紀伊國屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)の屋敷だった場所と言われています。享保年間(1716~1736年)に下総関宿藩主・久世氏の下屋敷になって庭園がある程度作庭されたとも言われています。1878年(明治11年)に三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎(いわさきやたろう)が荒廃していた邸地を買い取り、社員の慰安と賓客の接待を目的として庭園を作庭し、1880年(明治13年)に完成して深川親睦園と命名されました。その後岩崎弥太郎の弟で、三菱財閥2代目・岩崎弥之助(いわさきやのすけ)が隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲に全国から取り寄せた名石を配して回遊式林泉庭園が完成しました。1924年(大正13年)に岩崎弥太郎の長男で、三菱財閥3代目・岩崎久弥(いわさきひさや)が庭園の東半分を東京市に寄贈し、1932年(昭和7年)7月24日に清澄庭園として開園し、1973年(昭和48年)に東京都が西半分を購入し、1977年(昭和52年)に追加開園しました。清澄庭園には涼亭・大正記念館などがあります。清澄庭園には桜以外にもクロマツ・アジサイ・ツツジ・ハナショウブ などが植えられています。清澄庭園では花菖蒲祭り・七夕飾りなどのイベントが行われています。なお清澄庭園は東京都の名勝に指定されています。
江東区(こうとうく)は東京都区部東部に位置しています。江東区の名称は荒川水系の分流で一級河川・隅田川の東に位置することに由来しています。江東区は東京都の特別区の一つで、足立区・千代田区・荒川区・世田谷区・板橋区・台東区・江戸川区・大田区・中央区・葛飾区・豊島区・北区・中野区・墨田区・練馬区・品川区・文京区・渋谷区・港区・新宿区・目黒区・杉並区とともに23区を構成し、中央区・港区・墨田区・品川区・江戸川区に接しています。江東区は東側の荒川水系の本流で一級河川・荒川(放水路)と西側の隅田川に挟まれ、南部を東京湾に面しています。江東区は1657年(明暦3年)の振袖火事(ふりそでかじ・明暦の大火)後に町屋・武家屋として発展し、亀戸天神の亀戸や富岡八幡宮・深川不動堂の深川は門前町として賑いました。明治時代以降に工業用水や南関東ガス田の開発によって地下水が汲み上げられると荒川・隅田川によって形成された沖積低地は地盤沈下が進み、海面よりも低い海抜マイナス地帯が出現し、江東ゼロメートル地帯とも言われました。ちなみに江東区は海抜マイナス3メートルにもなる場所があり、高潮に備えて防潮堤や水門が整備されているそうです。
*参考・・・清澄庭園(アクセス・歴史・・・)
【清澄庭園 見どころ・文化財】
清澄庭園の見どころは清澄庭園の桜です。清澄庭園の桜見ごろは例年4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【清澄庭園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・03-3641-5892(清澄庭園サービスセンター)
【清澄庭園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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