郡山城跡(桜見ごろ3月下旬頃~)日本さくら名所100選
郡山城跡
郡山城跡(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。郡山城跡は日本さくら名所100選に選ばれた桜名所です。郡山城跡の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。郡山城跡では桜が見ごろを迎える時期に大和郡山お城まつりが行われ、600本のぼんぼりが灯され、時代行列・白狐お渡り・お城まつり市民パレードなどのイベントが行われたりします。(要確認)
【郡山城跡 アクセスマップ】
場所・・・奈良県大和郡山市城内町
【郡山城跡 アクセス・交通】
*近鉄郡山駅(徒歩約7分)
*JR郡山駅(徒歩約15分)
*西名阪自動車道郡山IC(車約20分)
【郡山城跡 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【郡山城跡 時間(要確認)】
自由
【郡山城跡 料金(要確認)】
無料
【郡山城跡 歴史・簡単概要】
郡山城跡(こおりやまじょうあと)は奈良県大和郡山市にあります。郡山城は奈良時代には薬園が営まれていた場所とも言われています。その後10世紀後半に中殿(なかどん)・辰巳殿(たつみどん)・薬園殿(やくえんどん)などの地侍・郡山衆が雁陣の城(雁陣之城)を築いたのが始まりとも言われています。1577年(天正5年)に大和筒井城主・筒井順慶(つついじゅんけい)が大和国戦国大名・松永久秀(まつながひさひで)を破って大和国を与えられ、1580年(天正8年)に本拠地を筒井城から郡山城に移し、1581年(天正9年)に明智光秀(あけちみつひで)を普請目付として近世城郭への整備を開始し、1583年(天正11年)に天守が完成しました。しかし1584年(天正12)に筒井順慶が亡くなり、1585年(天正13年)に関白・豊臣秀吉の弟・豊臣秀長(とよとみひでなが)が入城し、大坂城を守る重要な城として大規模な修築が行われ、城下町の整備も行われました。ただ1591年(天正19年)に豊臣秀長、1595年(文禄4年)にその養子・豊臣秀保(とよとみひでやす)が亡くなると大和大納言家(大和国・和泉国・紀伊国三ヵ国100万石)は断絶し、その後豊臣政権の五奉行・増田長盛(ましたながもり)が入封して城の修築を続けたが、関ヶ原の戦い後に増田長盛は高野山に追放になり、その後松平氏・本多氏が近世城郭に改修し、更に柳沢氏が城下町を整備しました。1873年(明治6年)に郡山城が破却され、櫓・門・塀などが売却されて運び去られました。その後1960年(昭和35年)に本丸・毘沙門曲輪が奈良県の指定史跡になり、1983年(昭和58年)に追手門、翌1984年(昭和59年)追手東隅櫓、1987年(昭和62年)に追手向櫓が復元されました。2017年(平成29年)に天守台展望施設が整備されて公開されました。郡山城跡にはソメイヨシノ(染井吉野)・ヤエザクラ・シダレザクラなど約800本の桜の木が植えられています。桜は御殿桜とも言われています。
*参考・・・郡山城跡(アクセス・歴史・・・)
【郡山城跡 見どころ・文化財】
郡山城跡の見どころは郡山城跡の桜です。郡山城跡の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【郡山城跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0743-52-2010(大和郡山市観光協会)
【郡山城跡 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●日本さくら名所100選
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