興聖寺(紅葉見ごろ11月中旬頃)滋賀紅葉名所

興聖寺

興聖寺(アクセス・見どころ・・・)情報を紹介しています。興聖寺は滋賀の紅葉名所です。興聖寺の紅葉見ごろは例年11月中旬頃です。興聖寺の足利庭園(国の名勝)は安曇川(あどがわ)の清流と比良山系(ひらさんけい)を借景とした面積234坪の蓬莱池泉式庭園で、築山に石を利用した滝が設けられ、池に2つの鶴亀の島が配され、楠の化石の石橋が対岸の出島に架けられています。

【興聖寺 アクセスマップ】
場所・・・滋賀県高島市朽木岩瀬374

【興聖寺 アクセス・交通】
*JR安曇川駅から江若バスの場合、岩瀬バス停または朽木学校前バス停(徒歩約10分)

*名神高速京都東IC(車約1時間)または京都東IC(車約2時間)

【興聖寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【興聖寺 時間(要確認)】
9:00~17:00

【興聖寺 料金(要確認)】
300円

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【興聖寺 歴史・簡単概要】
興聖寺(こうしょうじ)は滋賀県高島市朽木岩瀬にあります。興聖寺は鎌倉時代初期に曹洞宗の開祖・道元禅師(どうげんぜんじ)が朽木の里を訪れ、風光明媚な光景が1233年(天福元年)に自ら創建した宇治・興聖寺に酷似していることに感激し、領主・朽木氏(くつきし)に一寺の創建を勧めたのが始まりとも言われています。興聖寺は1243年(寛元元年)から建立が始まったとも言われています。江戸時代中期の1729年(享保14年)に上柏村指月谷から岩神村の秀隣寺(しゅうりんじ)に移されました。秀隣寺は1528年(享禄元年)に室町幕府管領・細川高国(ほそかわたかくに)が室町幕府12代将軍・足利義晴(あしかがよしはる)を慰める為に朽木稙綱(くつきたねつな)・京極高清(きょうごくたかきよ)・浅井亮政(あざいすけまさ)・朝倉孝景(あさくらたかかげ)らと協力して旧秀隣寺庭園・足利庭園(国の名勝)を贈った場所です。足利義晴は1528年(享禄元年)から1531年(享禄4年)まで細川晴元(ほそかわはるもと)・三好元長(みよしもとなが)らの反乱から逃れる為に朽木稙綱を頼って滞在していました。1828年(文政11年)に本堂が焼失し、1857年(安政4年)に25世・仙英和尚が朽木大綱の寄進によって再建しました。興聖寺にはカエデ・イチョなどが植えられています。なお興聖寺は平安時代に造仏されたヒノキの寄木造りの木造釈迦如来像坐像(重要文化財)を本尊として安置しています。
高島市(たかしまし)は滋賀県西部に位置しています。高島市の名称は古代からの郡名に由来しています。高島市は滋賀県内で面積が1番大きい市町村です。高島市は滋賀県の大津市・長浜市、京都府の京都市・南丹市、福井県の小浜市・敦賀市・若狭町・美浜町・おおい町に接しています。高島市は日本国内で最大の面積と貯水量を持つ琵琶湖北西(西岸)に位置し、丹波高地を源とする安曇川(あどがわ)流域にあり、安曇川・林照寺川・石田川などが流れています。安曇川・石田川流域に扇状地・三角州などの平地が広がり、比良山地・野坂山地などに森林が広がっています。ちなみに琵琶湖はラムサール条約登録湿地になっています。高島市では弥生時代の3世紀以前に古代の有力氏族・安曇族(あずみうじ)が定着し、安曇川の名称の由来になりました。高島市は古くから京都・奈良と北陸を結ぶ交通の要地で、西近江路・若狭街道が通り、海津・今津は宿場町・湖上交通の拠点として栄えました。奈良時代から平安時代初期に渤海使(ぼっかいし)が国際航路として高島を使用しました。高島市は稲作が盛んで、山間部で果樹やシイタケなどが栽培されています。琵琶湖ではアユ・ハスなどの漁も行なわれています。高島市には綿織物(とくにちりめん)の織物業・酒造業などが立地し、京扇子の扇骨・高島硯(虎斑石)・雲平筆などが特産品として知られています。
*参考・・・興聖寺(アクセス・歴史・・・)

【興聖寺 見どころ・文化財】
興聖寺の見どころは興聖寺の紅葉です。興聖寺の紅葉は例年11月上旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月中旬頃です。紅葉の見ごろにカエデ・イチョウなどが色付きます。紅葉のビュースポットは足利庭園・小入谷です。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。

【興聖寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0740-33-7101(びわ湖高島観光協会)

【興聖寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
滋賀紅葉名所・滋賀紅葉見ごろ

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