久留米城跡(桜見ごろ3月下旬頃~)福岡桜名所

久留米城跡
久留米城跡(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。久留米城跡は福岡の桜名所です。久留米城跡の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。久留米城跡にはソメイヨシノ(染井吉野)・ヤマザクラ(山桜)・ギョイコウ(御衣黄)など約30本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)
【久留米城跡 アクセスマップ】
場所・・・福岡県久留米市篠山町444
【久留米城跡 アクセス・交通】
*JR久留米駅から西鉄バス・8番の場合、大学病院バス停(徒歩約3分)
*九州自動車道久留米IC(車約20分)
【久留米城跡 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【久留米城跡 時間(要確認)】
自由
【久留米城跡 料金(要確認)】
無料
【久留米城跡 歴史・簡単概要】
久留米城跡(くるめじょうあと)は福岡県久留米市篠山町にあります。久留米城は室町時代後期(戦国時代)の永正年間(1504年~1521年)に土豪が砦(とりで)を築き、篠原城と称したのが始まりとも言われ、天文年間(1532年~1555年)に御井郡司の某(なにがし)が修築した記録が残されています。当時、大友宗麟(おおともそうりん・大友義鎮)と龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)が争って、城主が度々入れ替わりました。安土桃山時代の1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が九州を平定すると毛利元就(もうりもとなり)の九男で、大友宗麟の娘婿・毛利秀包(もうりひでかね)が久留米に封じられ、堀を掘削して石垣を積み、天守を置くなどの大改築が行われました。江戸時代初期に田中吉政(たなかよしまさ)が筑後国主になると柳川城が本城、久留米城がその支城になりました。1621年(元和7年)に久留米藩初代藩主・有馬豊氏(ありまとようじ)が入府すると久留米城を大規模に拡張し、1691年(元禄4年)頃に城郭が完成したと言われ、その後明治維新まで有馬氏の居城でした。1871年(明治4年)の廃藩置県によって廃城になり、1874年(明治7年)の廃城令によって大半の建造物は解体され、1877年(明治10年)に本丸御殿跡地に篠山神社が祀られました。久留米城跡にはソメイヨシノ(染井吉野)・ヤマザクラ(山桜)・ギョイコウ(御衣黄)など約30本の桜の木が植えられています。なお久留米城跡は福岡県の県史跡に指定され、続日本100名城(183番)に選定されています。
久留米市(くるめし)は福岡県南部(筑後地方)に位置しています。久留米市は福岡県内でいずれも政令指定都市である福岡市・北九州市に次いで3番目に人口が多く、九州全体でも8番目に多い都市です。久留米市は福岡県の小郡市・朝倉市・筑後市・大川市・うきは市・八女市・大木町・広川町・大刀洗町、佐賀県の鳥栖市・神埼市・みやき町に接しています。久留米市は九州最大の平野である筑紫平野(つくしへいや)に位置し、南部から南東部に耳納山地(みのうさんち)があり、市域の中央を東西に筑後川水系の本流で一級河川・筑後川(ちくごがわ)が流れています。筑後川は九州最大の河川で、利根川(坂東太郎)・吉野川(四国三郎)とともに日本三大暴れ川に数えられ、筑紫次郎(筑紫二郎)とも言われています。久留米市は古来筑後国の国府が置かれ、筑後国の中心として栄えました。久留米市は永正年間(1504年~1521年)に篠原城(久留米城)が築城され、1621年(元和7年)に久留米藩初代藩主・有馬豊氏(ありまとようじ)が入府すると久留米城を大規模に拡張し、その城下町として発展しました。久留米市は豚骨ラーメン発祥地(久留米ラーメン)としても広く知られています。
*参考・・・久留米城跡(アクセス・歴史・・・)
【久留米城跡 見どころ・文化財】
久留米城跡の見どころは久留米城跡の桜です。久留米城跡の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【久留米城跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0942-33-4422(久留米市観光案内所)
【久留米城跡 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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