舞鶴城公園・甲府城跡(桜見ごろ3月下旬頃~)山梨桜名所
舞鶴城公園・甲府城跡
舞鶴城公園・甲府城跡(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。舞鶴城公園は山梨の桜名所です。舞鶴城公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月中旬頃です。舞鶴城公園にはソメイヨシノ(染井吉野)など約160本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。甲府では4月に信玄公祭り・武田二十四将騎馬行列が行われるそうです。(要確認)
【舞鶴城公園・甲府城跡 アクセスマップ】
場所・・・山梨県甲府市丸の内
【舞鶴城公園・甲府城跡 アクセス・交通】
*JR甲府駅(徒歩約3分)
*中央自動車道甲府南IC(車約15分)
【舞鶴城公園・甲府城跡 アクセス・駐車場】
駐車場なし
【舞鶴城公園・甲府城跡 時間(要確認)】
自由
【舞鶴城公園・甲府城跡 料金(要確認)】
無料
【舞鶴城公園・甲府城跡 歴史・簡単概要】
舞鶴城公園(まいづるじょうこうえん)・甲府城跡(こうふじょうあと)は山梨県甲府市丸の内にあります。舞鶴城公園はかつて面積約20ヘクタールあった甲府城跡の一部を整備した公園です。甲府城は平安時代後期に甲斐源氏・一条忠頼(いちじょうただより)の居館があった場所で、一条忠頼の死後に夫人が一条忠頼の菩提を弔う尼寺を創建し、鎌倉時代に時宗道場・一蓮寺(いちれんじ)があったとも言われています。その後武田氏が甲斐国の戦国大名になったが、1582年(天正10年)に武田氏が滅亡すると織田信長の領国になり、1582年(天正10年)の本能寺の変後に江戸幕府初代将軍・徳川家康が支配したが、関白・豊臣秀吉が天下統一をすると秀吉の甥・羽柴秀勝(はしばひでかつ)や秀吉の家臣・加藤光泰(かとうみつやす)が秀吉の命令によって甲府城の築城を開始し、豊臣政権の五奉行筆頭・浅野長政(あさのながまさ)・浅野幸長(あさのよしなが)父子が完成させました。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後の1603年(慶長8年)に徳川家康の九男・徳川義直(とくがわよしなお)が城主になり、1661年(寛文元年)に3代将軍・徳川家光の三男・徳川綱重(とくがわつなしげ)が城主になり、1704年(宝永元年)に徳川綱重(徳川家宣(とくがわいえのぶ))が6代将軍になると1705年(宝永2年)に側用人・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)が城主になりました。1724年(享保9年)に柳沢吉保の嫡男・柳沢吉里(やなぎさわよしさと)が大和郡山に転封されると甲府勤番が設置されました。1873年(明治6年)に廃城になり、1877年(明治10年)頃に主要な建物が取り壊されて勧業試験場になり、1904年(明治37年)には舞鶴公園として開放されました。その後1933年(昭和8年)に武徳殿、1953年(昭和28年)に恩賜林記念館、1957年(昭和32年)に県民会館、1966年(昭和41年)に議員会館が設置され、1964年(昭和39年)には都市公園・舞鶴城公園として都市計画が決定されました。なお甲府城跡は山梨県の史跡に指定され、日本100名城(25番)にも選定されています。
*参考・・・舞鶴城公園・甲府城跡(アクセス・歴史・・・)
【舞鶴城公園・甲府城跡 見どころ・文化財】
舞鶴城公園の見どころは舞鶴城公園の桜です。舞鶴城公園の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月中旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。
【舞鶴城公園・甲府城跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・055-227-6179(舞鶴城公園管理事務所)
【舞鶴城公園・甲府城跡 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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