三井寺・園城寺(桜見ごろ4月上旬頃~)滋賀桜名所

三井寺・園城寺

三井寺・園城寺

三井寺・園城寺(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。三井寺は滋賀の桜名所です。三井寺の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。三井寺にはソメイヨシノ(染井吉野)・ヤマザクラなど1,000本以上の桜の木が植えられ、ライトアップが行われます。ただイベントは行われないそうです。(要確認)三井寺は正式には長等山園城寺(おんじょうじ)と言います。

【三井寺・園城寺 アクセスマップ】
場所・・・滋賀県大津市園城寺町246

【三井寺・園城寺 アクセス・交通】
*京阪石山坂本線三井寺駅(徒歩約10分)
*JR大津駅から京阪バスの場合、三井寺バス停(徒歩すぐ)

*名神高速大津IC(車約10分)または京都東IC(車約10分)

【三井寺・園城寺 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【三井寺・園城寺 時間(要確認)】
8:00~17:00

【三井寺・園城寺 料金(要確認)】
個人
大人600円、高校生・中学生300円、小学生200円

団体(30名以上)
大人550円、高校生・中学生250円、小学生150円

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【三井寺・園城寺 歴史・簡単概要】
三井寺(みいでら)・園城寺(えんじょうじ)は滋賀県大津市園城寺町にあります。三井寺は672年(天武天皇元年)の壬申の乱(じんしんのらん)で敗れた大友皇子(おおとものおうじ)の皇子・大友与多王(おおとものよたのおおきみ)が父の霊を弔う為に田園城邑(じょうゆう)を寄進して寺院を創建し、第40代・天武天皇から勅額「園城」を賜わったことが起源と言われています。667年(天智天皇6年)に第38代・天智天皇が飛鳥から近江に遷都し、672年(天智天皇10年)に崩御すると天智天皇の第1皇子・大友皇子(第39代・弘文天皇)と天智天皇の弟・大海人皇子(おおあまのおうじ 第40代・天武天皇)が皇位継承を巡って争う壬申の乱が起こり、勝利した大海人皇子は再び飛鳥に遷都しました。三井寺の名称は第38代・天智天皇、第40代・天武天皇、第41代・持統天皇の誕生の際に産湯に用いられたという霊泉があって「御井の寺」とも言われ、その後天台寺門宗の宗祖である智証大師(ちしょうだいし)・円珍(えんちん)が厳義・三部潅頂(かんじょう)の法儀に用いたことに由来しています。平安時代中期の貞観年間(859年~877年)に智証大師・円珍が天台別院として中興し、奈良の東大寺(とうだいじ)・興福寺(こうふくじ)と京都の延暦寺(えんりゃくじ)とともに「本朝四箇大寺(しかたいじ)」に数えられ、 南都北嶺(なんとほくれい)の一翼を担いました。智証大師・円珍の死後に智証大師・円珍門流と第3代天台座主の慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)門流が激しく対立し、993年(正暦4年)に智証大師・円珍門流は比叡山を下って三井寺に入り、延暦寺を山門、三井寺を寺門と称して天台宗は二分されました。ちなみに1081年(永保元年)の焼き討ちから中世末期までに大規模なものだけで10回、小規模なものを含めると50回にも及ぶとも言われています。1595年(文禄4年)に関白・豊臣秀吉の怒りに触れて闕所(けっしょ)を命じられ、金堂などの堂宇が移築されたり、本尊・宝物が移されたりしたが、1598年(慶長3年)に死の直前の豊臣秀吉から再興が許可されました。
*参考・・・三井寺・園城寺(アクセス・歴史・・・)ホームページ

【三井寺・園城寺 見どころ・文化財】
三井寺の見どころは三井寺の桜です。三井寺の桜見ごろは例年4月上旬頃~4月中旬頃です。桜のビュースポットは観音堂へ登る階段です。なおいずれも国宝である金堂・新羅善神堂・勧学院客殿・光浄院客殿やいずれも国の重要文化財である大門(仁王門)・閼伽井屋・一切経蔵・三重塔・食堂(釈迦堂)・毘沙門堂・唐院4棟(大師堂・唐門・灌頂堂・四脚門)・鐘楼も見どころです。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【三井寺・園城寺 連絡先(要確認)】
電話番号・・・077-522-2238(三井寺)

【三井寺・園城寺 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
滋賀桜名所・滋賀桜見ごろ

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