身延山西谷(紅葉見ごろ11月中旬頃~)山梨紅葉名所

身延山西谷

身延山西谷

身延山西谷(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。身延山西谷は山梨の紅葉名所です。身延山西谷の紅葉見ごろは例年11月中旬頃~11月下旬頃です。身延山には山麓の久遠寺駅と山頂の奥之院駅を結ぶ全長約1,665メートル・高低差約763メートルの身延山ロープウェイ(片道約7分)が運行され、西谷の紅葉と眺望を楽しむことができます。

【身延山西谷 アクセスマップ】
場所・・・山梨県南巨摩郡身延町身延

【身延山西谷 アクセス・交通】
*中部横断自動車道下部温泉早川IC(車約20分)

【身延山西谷 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【身延山西谷 時間(要確認)】
確認中

【身延山西谷 料金(要確認)】
確認中

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【身延山西谷 歴史・簡単概要】
身延山西谷(みのぶさんにしたに)は山梨県南巨摩郡身延町身延にあります。身延山は山梨県南西部で、身延町と早川町の境にある標高約1,153メートルの山です。身延山は日蓮宗(にちれんしゅう)の総本山(祖山)である久遠寺(くおんじ)の山号で、別名としても使われています。身延山は東側が身延衝上断層(みのぶしょうじょうだんそう)による急斜面、西側が糸魚川静岡構造線(いといがわしずおかこうぞうせん)による急斜面、山頂が準平原のなごりである平たんになっています。身延山は山体の上部が集塊岩(しゅうかいがん)、下部が安山岩(あんざんがん)・角閃岩(かくせんがん)などで構成されています。身延山では鎌倉時代の1274年(文永11年)5月17日に日蓮宗(法華宗)の宗祖・日蓮聖人(にちれんしょうにん)が甲斐国波木井(はきい)郷を治めていた地頭・南部実長(なんぶさねなが)の招きによって身延山に入山し、同年6月17日から鷹取山(たかとりやま)の麓の西谷に草庵を結んで久遠寺を創建しました。西谷には御草庵跡など久遠寺ゆかりの霊蹟が点在し、宿坊があります。西谷にはカエデなどが分布しています。なお身延山は久遠寺山内がスギの美林で覆われ、ブッポウソウの繁殖地(国の天然記念物)になっています。
身延町(みのぶちょう)は山梨県南部(国中地方)に位置しています。身延町は早川町(はやかわちょう)・南部町(なんぶちょう)・富士川町(ふじかわちょう)とともに南巨摩郡(みなみこまぐん)を構成し、山梨県の甲府市・市川三郷町・南部町・富士川町・早川町・富士河口湖町、静岡県の静岡市、富士宮市に接しています。身延町は山梨県と長野県の県境にある標高約2,685メートルの鋸岳(のこぎりだけ)を源とし、球磨川(くまがわ)・最上川(もがみがわ)とともに日本三大急流に数えられる富士川両岸に位置し、東側に山梨県南部と静岡県北部にまたがる天守山地(てんしゅさんち・天子山地(てんしさんち))があり、西側に山梨県西部を南北方向に連なる巨摩山地(こまさんち)の急峻な山岳地帯が連なり、富士川とその支流である早川・常葉川(ときわがわ)流域に平坦地が広がっています。身延町は鎌倉時代の1274年(文永11年)に日蓮宗(法華宗)の宗祖・日蓮聖人(にちれんしょうにん)が草庵を結んで久遠寺(くおんじ)を創建すると日蓮宗総本山の久遠寺の門前町として栄えました。身延町は江戸時代に富士川水運の舟宿・交通の中継地としても栄えました。また身延町は山林が多く、江戸時代に手漉き和紙(てすきわし)の名産地にもなりました。なお千円紙幣に印刷されている本栖湖の逆さ富士が身延町の中ノ倉峠から撮影されたことが知られています。
*参考・・・身延山西谷(アクセス・歴史・・・)

【身延山西谷 見どころ・文化財】
身延山西谷の見どころは身延山西谷の紅葉です。身延山西谷の紅葉は例年11月上旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月中旬頃~11月下旬頃です。紅葉の見ごろにカエデなどが色付きます。紅葉のビュースポットは御草庵跡です。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。

【身延山西谷 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0556-62-1116(身延町役場観光課)

【身延山西谷 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
山梨紅葉名所・山梨紅葉見ごろ

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