宮妻峡・水沢もみじ谷(紅葉見ごろ11月下旬頃~)三重紅葉名所
宮妻峡・水沢もみじ谷
宮妻峡・水沢もみじ谷(アクセス・見どころ・・・)情報を紹介しています。宮妻峡・水沢もみじ谷は三重の紅葉名所です。宮妻峡・水沢もみじ谷の紅葉見ごろは例年11月下旬頃~12月上旬頃です。宮妻峡・水沢もみじ谷では紅葉が見ごろを迎える時期に水沢もみじ祭りが催され、紅葉ライトアップが行われます。(要確認)宮妻峡キャンプ場・宮妻峡ヒュッテなどもあります。
【宮妻峡・水沢もみじ谷 アクセスマップ】
場所・・・三重県四日市市水沢町山の坊
【宮妻峡・水沢もみじ谷 アクセス・交通】
*JR四日市駅からバスの場合、宮妻口バス停(徒歩すぐ)
*東名阪道四日市IC(車約25分)
【宮妻峡・水沢もみじ谷 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【宮妻峡・水沢もみじ谷 時間(要確認)】
確認中
【宮妻峡・水沢もみじ谷 料金(要確認)】
確認中
【宮妻峡・水沢もみじ谷 歴史・簡単概要】
宮妻峡(みやづまきょう)・水沢もみじ谷(すいざわもみじだに)は三重県四日市市にあります。宮妻峡は標高約1,161メートルの鎌ヶ岳(かまがたけ)と標高約906メートルの入道ヶ岳(にゅうどうがたけ)の間を源とする一級河川・鈴鹿川(すずかがわ)の支流・内部川(うつべがわ)上流部に形成された渓谷です。宮妻峡は三重県・岐阜県・滋賀県の県境沿いに位置する鈴鹿山脈(すずかさんみゃく)の峰々を清流が流れています。宮妻峡には古くから紅葉の名所である水沢もみじ谷(紅葉谷)があります。水沢もみじ谷では勅撰和歌集「古今和歌集(こきんわかしゅう)・平安時代前期編纂」・「小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)・藤原定家撰」に選ばれた「奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき(猿丸大夫(さるまるのたいふ))」が詠まれたと言われています。水沢もみじ谷では江戸時代後期に伊勢菰野藩第9代藩主・土方義苗(ひじかたよしたね)がモミジ以外の木を除去し、モミジだけを育てました。また宮妻峡・水沢もみじ谷にはブナ・イチョウなども分布しています。ちなみに土方義苗は破綻寸前だった藩財政の財政改革に乗り出し、質素倹約・経費節減や灌漑工事・産業開発などを積極的に行なったそうです。宮妻峡周辺には宮妻峡キャンプ場・宮妻峡ヒュッテなどもあります。なお宮妻峡・水沢もみじ谷は鈴鹿国定公園(すずかこくていこうえん)内にあります。
四日市市(よっかいちし)は三重県北部に位置しています。四日市市の名称は戦国時代に領主・赤堀氏が「四」の付く日に市を立てたことに由来しています。四日市市は三重県北部の中心都市で、三重県の県庁所在地である津市よりも人口が多く、三重県内でも1番人口が多い都市です。四日市市は三重県の桑名市・鈴鹿市・いなべ市・朝日町・川越町・菰野町・東員町、滋賀県の甲賀市に接しています。四日市市は中部から沿岸部は伊勢平野の沖積地で、西部に鈴鹿山脈があり、東部は伊勢湾に面しています。四日市市は平安時代に伊勢商人・近江商人が峠越えて活発に商いを行い、室町時代中の1470年 (文明2年) に田原忠秀(たはらただひで)が浜田城を築城するとその城下に市が立ち、弘治年間 (1555年~1558年) 頃には「四」の付く日に市を立つようになり、市場町として発展しました。その後江戸時代に陸海の要地であったことから天領となり、東海道の宿場町として栄え、本陣や宿駅が置かれました。四日市市は1888年(明治21年)に私鉄関西鉄道 (JR関西本線) が設立され、工場誘致を推進したことから工業都市に生まれ変われりました。1960年代から1970年代に工場の排煙による大気汚染が原因とされる四日市ぜんそくが日本四大公害病に数えられました。
*参考・・・宮妻峡・水沢もみじ谷(アクセス・歴史・・・)wikipedia
【宮妻峡・水沢もみじ谷 見どころ・文化財】
宮妻峡・水沢もみじ谷の見どころは宮妻峡・水沢もみじ谷の紅葉です。宮妻峡・水沢もみじ谷の紅葉は例年11月下旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月下旬頃~12月上旬頃です。紅葉の見ごろにカエデ・モミジ・ブナ・イチョウなどが色付きます。紅葉のビュースポットは谷底です。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。
【宮妻峡・水沢もみじ谷 連絡先(要確認)】
電話番号・・・059-357-0381(四日市観光協会)
【宮妻峡・水沢もみじ谷 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
●三重紅葉名所・三重紅葉見ごろ
テスト