紅葉渓庭園・西之丸庭園(紅葉見ごろ11月下旬頃~)和歌山紅葉名所
紅葉渓庭園・西之丸庭園
紅葉渓庭園・西之丸庭園(アクセス・見どころ・・・)情報を紹介しています。紅葉渓庭園は和歌山の紅葉名所です。紅葉渓庭園の紅葉見ごろは例年11月下旬頃~12月上旬頃です。紅葉渓庭園には1973年(昭和48年)に松下幸之助が寄贈した数寄屋造りの茶室・紅松庵(こうしょうあん)があり、お茶(菓子付き)と池の水面に移ったモミジなどを楽しむことができます。
【紅葉渓庭園・西之丸庭園 アクセスマップ】
場所・・・和歌山県和歌山市一番丁3
【紅葉渓庭園・西之丸庭園 アクセス・交通】
*JR・南海電鉄和歌山市駅(徒歩10分)
*JR・南海電鉄和歌山市駅またはJR和歌山駅からバスの場合、市役所前バス停(徒歩すぐ)
*阪和自動車道和歌山IC(車約20分)
【紅葉渓庭園・西之丸庭園 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【紅葉渓庭園・西之丸庭園 時間(要確認)】
9:00~17:00
茶室紅松庵
9:00~16:30(受付16:00終了)
【紅葉渓庭園・西之丸庭園 料金(要確認)】
無料
【紅葉渓庭園・西之丸庭園 歴史・簡単概要】
紅葉渓庭園(もみじだにていえん)・西之丸庭園(にしのまるていえん)は和歌山県和歌山市一番丁にあります。紅葉渓庭園は国の史跡に指定されている和歌山城内にある面積約8,217平方メートルの日本庭園・回遊式庭園・大名庭園です。紅葉渓庭園は江戸時代初期の1619年(元和5年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康の十男で、紀州徳川家の祖・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が入府した際に現在の姿に近い状態に整備されたとも言われています。紅葉渓庭園では1970年代から発掘調査と復元整備が開始され、中島にある鳶魚閣(えんぎょかく)の再建の際に和歌山城全体の地鎮に使われた江戸時代初期の地鎮具一式が出土しました。紅葉渓庭園は明治維新後に長らく荒廃していたそうです。紅葉渓庭園は天守閣が山上に造営された標高約48.9メートルの虎伏山(とらふすやま)北西部の山麓に位置し、東側の内堀・南側の鶴ヶ渓(つるのだに)がつながる急傾斜を利用して作庭され、2段の池と瀧が設けられています。紅葉渓庭園には鳶魚閣以外にも1973年(昭和48年)に和歌山市出身で、名誉市民の松下幸之助(まつしたこうのすけ)が寄贈した数寄屋造りの茶室である紅松庵(こうしょうあん)・紅葉渓橋・2006年(平成18年)に復元された御橋廊下などがあります。紅葉渓庭園にはカエデ・イロハモミジなどが植えられています。なお紅葉渓庭園は国の名勝・史跡に指定されています。
和歌山城(わかやまじょう)は安土桃山時代の1585年(天正13年)に関白・豊臣秀吉の弟で、大和大納言とも言われた豊臣秀長(とよとみひでなが)が秀吉の命により、藤堂高虎(とうどうたかとら)を普請奉行として吹上の峰に築城し、地名を若山を和歌山に改めたのが起源と言われています。その後紀伊国和歌山藩初代藩主で、浅野氏15代当主・浅野幸長(あさのよしなが)が入城して改修し、1605年(慶長10年)頃に下見板張りの天守が完成したと言われています。1619年(元和5年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康の十男で、紀州徳川家の祖・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が入城し、1621年(元和7年)から和歌山城の改修と城下町の拡張を開始しました。1655年(明暦元年)の火災によって西の丸・二の丸が延焼し、1813年(文化10年)の火災によって西の丸御殿が全焼し、1846年(弘化3年)の落雷によって御殿を除く大小天守など本丸の主要建物が全焼したが、1850年(嘉永3年)に大小天守などの建物が再建されました。江戸時代には武家諸法度によって天守の再建が禁止されていたが、御三家という家格から特別に許可されたそうです。なお和歌山城は国の史跡に指定され、日本100名城(62番)にも選定されています。
*参考・・・紅葉渓庭園・西之丸庭園(アクセス・歴史・・・)
【紅葉渓庭園・西之丸庭園 見どころ・文化財】
紅葉渓庭園の見どころは紅葉渓庭園の紅葉です。紅葉渓庭園の紅葉は例年11月下旬頃から色付き始め、紅葉見ごろは例年11月下旬頃~12月上旬頃です。紅葉の見ごろにカエデ・イロハモミジなどが色付きます。
紅葉は最低気温が8度以下の日が続くと見ごろが近くなり、最低気温が5度~6度になると一気に進むと言われています。紅葉は晴天が続き、湿度が低くて乾燥し、昼夜の寒暖の差が激しいと美しい紅葉が見られる言われています。
【紅葉渓庭園・西之丸庭園 連絡先(要確認)】
電話番号・・・073-435-1044(和歌山市和歌山城整備企画課)
【紅葉渓庭園・西之丸庭園 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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