名護屋城跡(桜見ごろ3月下旬頃~)佐賀桜名所

名護屋城跡

名護屋城跡

名護屋城跡(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。名護屋城跡は佐賀の桜名所です。名護屋城跡の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。名護屋城跡にはソメイヨシノ(染井吉野)など約400本の桜の木が植えられています。ただイベント・ライトアップは行われないそうです。(要確認)名護屋城跡は国の特別史跡・日本100名城(87番)に選ばれています。

【名護屋城跡 アクセスマップ】
場所・・・佐賀県唐津市鎮西町名護屋1938-3

【名護屋城跡 アクセス・交通】
*JR唐津駅(車約30分)

*長崎自動車道多久IC(車約60分)

【名護屋城跡 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【名護屋城跡 時間(要確認)】
自由

【名護屋城跡 料金(要確認)】
名護屋城跡歴史遺産維持協力金
大人100円

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【名護屋城跡 歴史・簡単概要】
名護屋城跡(なごやじょうあと)は佐賀県唐津市鎮西町名護屋にあります。名護屋城は元々中世に松浦党の交易拠点で、松浦党の旗頭・波多氏の一族である名護屋氏の居城・垣添城があった場所です。関白・豊臣秀吉は1590年(天正18年)に天下を統一し、1591年(天正19年)8月に来春唐入り(中国大陸制覇)を決行することを全国に布告し、同年10月から黒田孝高・黒田長政・加藤清正・小西行長・寺沢広高らを普請奉行として名護屋城の築城を開始し、翌1592年(文禄元年)3月に九州の諸大名を中心に動員して僅か8か月で完成しました。名護屋城は本丸・二の丸・三の丸・山里曲輪などからなり、本丸北西隅に望楼型5重7階の天守が築かれ、当時大坂城に次ぐ大規模な城郭でした。ちなみに徳川家康・伊達政宗・前田利家・加藤清正・小西行長・福島正則・島津義弘・片桐且元・毛利秀頼など102人の武将の陣所も置かれ、城下町も整備されたことから最盛期に人口が10万人を超え、一時肥前名護屋は日本の政治・経済の中心になったとも言われています。豊臣秀吉は生母・大政所(おおまんどころ)の危篤時を除いて延べ1年2か月滞在したと言われています。文禄の役(1592年(文禄元年)~1593年(文禄2年))・慶長の役(1597年(慶長2年)~1598年(慶長3年))が行われ、1598年(慶長3年)8月に豊臣秀吉が亡くなると朝鮮半島から撤退して名護屋城は役目を終え、1602年(慶長7年)に肥前唐津藩初代藩主・寺沢広高(てらざわひろたか)が九州の諸大名の助力を得て唐津城(からつじょう・舞鶴城(まいづるじょう))を築城した際に名護屋城の資材が転用されたと言われています。ちなみに大手門は仙台藩初代藩主で、伊達氏第17代当主・伊達政宗(だてまさむね)に与えられ、1601年(慶長6年)から築城が開始された仙台城に移築されたとも言われています。その後島原の乱(1637年(寛永14年)~1638年(寛永15年))が起こると一揆などの立て篭もりを防ぐ為、石垣などが破却されたとも言われています。なお名護屋城跡は国の特別史跡に指定され、日本100名城(87番)にも選定されています。
*参考・・・名護屋城跡(アクセス・歴史・・・)

【名護屋城跡 見どころ・文化財】
名護屋城跡の見どころは名護屋城跡の桜です。名護屋城跡の桜見ごろは例年3月下旬頃~4月上旬頃です。
桜(染井吉野)は2月1日以降の毎日の最高気温の積算が600度を超えると開花し、800度を超えると満開になるとも言われています。(誤差あり)なお地域によって若干差があるが、開花して5日から1週間ほどで満開になるとも言われています。

【名護屋城跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0955-82-5774(名護屋城跡観光案内所)

【名護屋城跡 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
佐賀桜名所・佐賀桜見ごろ

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