中城城跡(アクセス・歴史・・・)・世界遺産

中城城跡

中城城跡

中城城跡(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。中城城跡ゆかりの護佐丸(ごさまる)は山田城(やまだぐすく)で生まれ、1416年または1422年に琉球王国第一尚氏王統・第2代目国王である尚巴志(しょうはし)が北山王を滅ぼした今帰仁城(なきじんぐすく)攻略に参戦し、尚巴志とともに三山(中山・北山(山北)・南山(山北))統一を成し遂げました。

【中城城跡 アクセスマップ】
場所・・・沖縄県中頭郡中城村泊1258番地

【中城城跡 アクセス・交通】
*那覇バスターミナルから与勝線の場合、安谷屋バス停
*那覇バスターミナルから泡瀬東線の場合、中城小学校前バス停

【中城城跡 アクセス・駐車場】
駐車場あり

【中城城跡 時間(要確認)】
8:30~17:00(1/1~4/30・10/1~12/31)
8:30~18:00(5/1~9/30)

【中城城跡 料金(要確認)】
個人
大人400円、中・高校生300円、小学生200円

団体(20名以上)
大人300円、中・高校生200円、小学生100円

【中城城跡 歴史・簡単概要】
中城城跡(なかぐすくじょうあと)は15世紀に築城家として名高かった護佐丸(ごさまる)の居城でした。中城城は当時貿易港であった屋宜港から2キロメートルほど離れた標高約160メートルの丘陵上に築城されています。中城城は14世紀中頃に初代・先中城按司(さちなかぐずくあじ)が台城に居城の築城を始め、その後一族数世代が南の郭・西の郭・一の郭・二の郭を築造した。1440年に護佐丸が琉球王国第一尚氏王統・第6代国王である尚泰久(しょうたいきゅう)からの王命により、座喜味城(ざきみぐすく)から移封され、勝連から攻撃に備えて三の郭・北の郭を増築しました。1458年に尚泰久の娘・百度踏揚(ももとふみあがり)の夫で、勝連城10代目城主・阿麻和利(あまわり)の策略により、阿麻和利を総大将とする首里王府軍の急襲によって護佐丸は自害し、中城城は王府の直轄地になりました。ちなみに阿麻和利はその後琉球統一を目指したが、百度踏揚とその付き人・大城賢雄(うふぐすくけんゆう)が尚泰久に伝え、大城賢雄率いる首里王府軍によって滅ぼされました。1470年に中城城と中城の領地は琉球王国の王世子(世子)・中城王子(なかぐすくおうじ)の採地になり、1729年には一の郭に中城間切番所が置かれました。1853年にペリー提督一行(奥地探検隊)が中城城跡の調査測量などを行いました。なお中城城跡は1955年に琉球政府の史跡・名勝に指定され、1972年には国の史跡に指定されました。また中城城跡は日本100名城(99番)にも選定されています。
中城城跡は2000年(平成12年)に世界遺産条約により、ユネスコ世界文化遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)のひとつに登録されました。
*参考・・・中城城跡(アクセス・歴史・・・)ホームページ中城城跡(アクセス・歴史・・・)wikipedia

【中城城跡 見どころ・文化財】
中城城跡の見どころはペリー提督一行(奥地探検隊)が調査測量などを行い、「日本遠征記(1856年刊)」に「要塞の資材は石灰岩であり、その石造建築は賞賛すべき構造のものであった」と記した中城城跡そのものです。中城城跡は標高約167メートルの高台に東北から南西にほぼ一直線に6つの城郭(南の郭・西の郭・一の郭・二の郭・三の郭・北の郭)が連なっています。なお護佐丸の墓・カンジャーガマ(鍛冶屋跡)も見どころです。

【中城城跡 連絡先(要確認)】
電話番号・・・098-935-5719(中城城跡共同管理協議会)

【中城城跡 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月

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