野花梅渓(梅見ごろ3月上旬~)鳥取梅名所
野花梅渓
野花梅渓(アクセス・概要・見どころ・・・)情報を紹介しています。野花梅渓は鳥取の梅名所です。野花梅渓の梅見ごろは例年3月上旬頃~3月下旬頃です。野花梅渓には湯梨浜町原産の品種である野花豊後など約2,000本の梅の木が植えられています。野花豊後は1940年(昭和15年)から1941年(昭和16年)頃に野花の果樹園で発見されたと言われています。
【野花梅渓 アクセスマップ】
場所・・・鳥取県東伯郡湯梨浜町野花
【野花梅渓 アクセス・交通】
*JR松崎駅(徒歩約15分)
*JR松崎駅からはバス・西倉吉行きの場合、野花バス停(徒歩約5分)
*山陰自動車道泊・東郷IC(車約15分)・米子自動車道湯原IC(車約60分)・鳥取自動車道鳥取IC(車約1時間40分)
【野花梅渓 アクセス・駐車場】
駐車場あり
【野花梅渓 時間(要確認)】
確認中
【野花梅渓 料金(要確認)】
野花梅渓散策ツアー有料
【野花梅渓 歴史・簡単概要】
野花梅渓(のきょうばいけい)は鳥取県東伯郡湯梨浜町野花にあります。野花梅渓は周囲約12キロの汽水湖である東郷池(とうごういけ)西側で、京都府京都市下京区の京都駅から山陰地方を経由し、山口県下関市の幡生駅に至る山陰本線(さんいんほんせん)沿いにあります。近くには松尾神社・北山古墳もあります。野花梅渓には湯梨浜町原産の品種である野花豊後(のきょうぶんご)など約2,000本の梅の木が植えられています。野花梅渓は東郷湖・日本海を望む景観を誇る山陰随一の梅林とも言われています。野花豊後は1940年(昭和15年)から1941年(昭和16年)頃に野花の果樹園で発見されたと言われています。野花豊後は結実が安定し、実が大きく(直径約5センチ)楕円形で、果肉もしっかりと分厚い特徴があり、豊後系の品種の中でも高品質の梅です。野花豊後は開花期が遅く、ピンク色の美しい花を咲かせ、甘い香りを漂わせます。野花豊後は大玉が加工用として人気があり、近年梅ジュースなどに加工されているそうです。野花豊後の食品は「げんき梅」としてブランド化されているそうです。野花梅渓では梅の見ごろに野花梅渓散策ツアーが行われています。個人には中国庭園・燕趙園入園とのセットプラン、ゆアシス東郷龍鳳閣入浴とのセットプランもあります。(要確認)なお湯梨浜町では2015年(平成27年)時点で36戸の生産者が面積約5.5ヘクタールで野花豊後を栽培しているそうです。
湯梨浜町(ゆりはまちょう)は鳥取県中部に位置しています。湯梨浜町は2004年(平成16年)に羽合町・泊村・東郷町が合併して誕生し、湯梨浜町の町名は町の特色である「温泉(湯)」・「二十世紀梨」・「砂浜」から命名されました。湯梨浜町は三朝町(みささちょう)・琴浦町(ことうらちょう)・北栄町(ほくえいちょう)とともに東伯郡(とうはくぐん)を構成し、鳥取市・倉吉市・三朝町・北栄町に接しています。湯梨浜町は東伯郡三朝町にある標高約1,118メートルの津黒山(つぐろせん)を源とする一級河川・天神川(てんじんがわ)下流東岸に位置し、中央部北西寄りに周囲約12キロの汽水湖である東郷池(とうごういけ)があり、北側を日本海に面しています。湯梨浜町では橋津付近には多くの古墳があり、古くから人が住んでいたとも言われています。古代に機織に携わった倭文氏(しとりうじ)が祖神の建葉槌命(たけはつちのみこと)を祀ったのが起源とされている伯耆国一宮・倭文神社(しとりじんじゃ)も祀られています。湯梨浜町は江戸時代に鳥取藩の米の積出港として栄え、藩倉が置かれていました。幕末に鳥取藩が橋津川河口部に築造した海岸防備の橋津台場跡も残されています。湯梨浜町は農業・漁業が主産業で、農業では二十世紀梨などの梨の生産量が日本一の町になっています。漁業では沿岸漁業基地で、小型底引き・刺網などが行なわれています。
*参考・・・野花梅渓(アクセス・歴史・・・)ホームページ
【野花梅渓 見どころ・文化財】
野花梅渓の見どころは野花梅渓の梅です。野花梅渓の梅見ごろは例年3月上旬頃~3月下旬頃です。
梅は桜と同じバラ目バラ科サクラ属の落葉樹で、開花の仕組みがよく似ています。梅は花の元となる花芽が前年の夏に形成されて休眠し、秋から冬に気温が低下すると休眠打破され、その後気温が上昇すると開花に向かって生長し、1月頃から開花します。
【野花梅渓 連絡先(要確認)】
電話番号・・・0858-35-4052(湯梨浜町観光協会)
【野花梅渓 備考(御朱印・その他・・・)】
最終更新日:2021年(令和3年)11月
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